1974年4月、詩学社から刊行されあた中西博子の詩集。装幀は藤泰隆。著者は中西悟堂の長女。
詩は私にとっていつもわからないものであった。たいがいの時、私は詩を書いてはいなかった。私の膝や首のあたりを彩るのは、ある景色、遠い夏、いくつかの出会いの時であった。
出会い――それは詩以上にわからないものだ。出会いがあるため、人は迷い、惑い、走り、ためらい、そして自ら果てしない渦をぐるぐると回し始める。
閃光のようにやってきたのはシューベルトの音楽であった。あれは高校生の春、粗末な講堂で催された演奏会だった。演奏者達の身ぶり、手指の運動、講堂のライトのありよう、それを私はその時の響きと共に今でも鮮明におぼえている。
また、慈母のように無限の広さで、きづかれないように、執拗に揺籠の中から追いかけてきたもの、それは自然であった。自然はあきもせずその衣装を変え、その姿を常に新しくし続けた。それを私は、一本の本当にみすぼらしい白樺の枝先に、ある五月の日の町中で突然見つけた。
期を同じくしてやって来たこれらの侵入者は、直接表出される出口を持たず、そのまま一つの不思議として、切りとられた絵のように私の外に置いておかれた。
その後私が存在の意味を根底から問わざるを得なくなった直接の契機は、またしても自然を内在させた音楽であった。それら二つの不可視のものに追われ始めると、人々も本も主義も数字も慣習も、すべてその二つの色彩に結びつけられ、それぞれが一小部分となってしまう。人の姿は具体的であるために、その深淵はいつか測れるような気がしていた。人が自然の一部であり、また社会の一部であるなら、これは拙い早計というものではあったが。
ともかく、わからないことに苛立っていることが多く、そして苛立っている時は生きている気がした。今は渦をむやみに回して、その底をいたずらに深くしようとばかりは思わない。引力が私の周囲を、ゆっくりと大車輪のようにめぐっている。しかし、やはりなお、詩はわからないものであり続ける。一方では、遅々たる歩みでも、詩とは何か、言語とは、言語による表現、創造とは何かということを考え続け、せめて書くということ自体の意味がやや明らかになった展望の中で詩集を編むべきかとも思ったのだが、そういう日はなかなかやって来そうにない。ただ混沌から混沌へと漂ううちに、記憶の外の闇へ、そのまま流れ星のように去ってしまうと思われて、一まず青春の季節の一つの渦を四角い冊子の中に折りたたんでみたのである。詩はあるいは「わからない」ということの、つぶやきの映像なのであろうか。
この詩集のために、多忙を極める西脇順三郎先生から序文をいただけましたことは、身に余ることと、厚く御礼申し上げます。
又、美しい装幀を入念に仕上げて下さった、かかし座の藤泰隆氏、詩集の上梓に関して、何かと相談に乗って下さった英美子、山下千江の両氏、出版一切のお世話ばかりでなく、詩全般についても貴重な示唆を下さった詩学社の嵯峨信之氏に深く感謝いたします。
(「終りに」より)
目次
序 西脇順三郎
Ⅰ デルタ
- 石の日
- ポエム・バスケット
- 音
Ⅱ 季節風
- 水晶の昼
- 新緑七日
- 訪問者
- 言葉の谺
- サングラス
- 湖辺の暗転
- 訊問
Ⅲ 緩慢なる午睡
- 桜の季節
- 青年
- 忘れられた夕暮
- 開けゆく西空
- 柔和な仏像
- 予感
- 幹のない森
Ⅳ 極北の駅
- 空白の庭
- めでたき人
- 傍観者の休息
- 石の合意
- 山上の猫
- 最後の乗客
Ⅴ 白いメモ帳より
- 帰る
- 溶ける
- 無罪
- レモンの午後
- 狐
- 挨拶
- 永遠の童
- 貧しい地を
- 地平の影
Ⅵ 珊瑚礁
- 展望台
- 黒猫または真理について
- 奪われる風景
- 脹らんだ朝
- 復活
- 0と1の間
- 契約
Ⅶ 引力
- 陰謀
- 水牛
- 名前
- 化石
- 足音
- どこかで人は
- 湖周の歌
- 草の証明
跋 中西悟堂
終りに