1982年7月、詩学社から刊行された塚田高行の詩集。装幀は山本明正。
私はよく冬の道を歩く。郊外の、雑木林の点在する、広漠とした冬の道を。空を、すでに葉を落してしまった林を、木枯らしが吹きわたっていく。風は道を吹きつのり、私をもこごえさせ、すくませる。しかし、そういう冬ざれの、寒い、きびしい道を歩いていて、私はふいに明るいものに出会うことがある。孟宋竹の柔らかなみどり。流れに照リ映える水辺の陽光。冬とはこんなにも明るく、ゆたかだったのか。
道はまたそのほとりに多くのものをはぐくんでいる。丈低く地をはうような草、かしの木、そこはかとなく点在する家。それらなにげないものを私は見たいと思う。それらのものと関わりをもちたいと思う。そして見つめる。すると、それらのものは、なにかしらのものを私に与え返えそうとする。ものとの関係を深めること、しかもなにげないものとの関係を深めること、それができたらどんなによいだろう。
ふりかえってみて、私の幼少年期は決して充たされていたとはいえない。日々が、自分を守ることに明けくれていったように思う。そうした時期を、私は、幼年期においては現実から自分を一歩ずらすことによって、空想やとりとめのない想念の中に身を置くことによって、また長じては文学や心理学らしきものに自分の殻を求めることによって、のりきってきた。そのことが私を詩に向わせたもっとも大きな遠因だったと思う。
「一冊の詩集を出すことは一つの祝祭である」というような意味のことをどこかで聞いた。たしかにそうだろう。が、ただ祝祭であるならば、それだけならば、それは一回かぎりのもの、ひとときまたたいてすぐに消えてしまうものであるはずだ。そうであってはならない。その余韻をかみしめて、新しい境地を開かなければならない。
ともあれこの詩集を世に出す。それはこれらの詩群が私のものではなくなるということである。私の詩への別れ、私の幼少年期への別れである。それはかぎりなく寂しい。たとえ私を理解してくれる人が私のそばにいたとしても、この寂しさはぬぐえないだろう。いたしかたない。一人で酒でも酌み交しながら別れることにしよう。それが私の祝祭であり、私の生の一つの区切りなのだから。
末筆ながら、私のような言語障害のある人間にも親しくご教示してくださった藤原定先生、安西均先生、及び、あとがきをいただいた花田春兆氏、この詩集をつくるのにさいしてご指導いただいた詩学社の嵯峨信之氏、そのほか清書や校正を手伝ってくださった多くの人に感謝します。ありがとう。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 避雷針
- 訪ない
- 冬日
- 冬の夢道
- 晩秋
- 雨後の土
- 抱合
- 母へ――命日に
- 二月の樹
- 花
- 初秋
- 流れに
- 音
- まどろみへの問いかけ
- 視る <樹光 小さな四つ辻>
- 友に
- きれつ
- 打つ
- 仄かなものヘ
Ⅱ
- 孤馬
- 深みへ
- 逝ったN氏へ
- 少年僧
- 月宵
- 海ヘ―鳥達のために―
信念到達の道 藤原定
彼、塚田高行君のこと 花田春兆
あとがき