1991年11月、土曜美術社から刊行された瀬谷耕作(1923~2014)の第9詩集。著者は福島県生まれ、刊行時の住所は水戸市。
少年のころ蛇のぬけがらをよく見かけた。が、その脱皮中の姿を見たことはない。話にも聞かなかった。防衛本能によって、その行為は隠密裡に行われるらしい。その脱ぎつつあるときの表皮は生きているはずである。あるいは、脱ぐこと自体が生きることだとも言えよう。
事後に残った皮が、もぬけの殻である。度胸なしの少年だった私も、女の子の前などでは、平気なふりしてそれをつまみ上げたり、首に巻いたりした。とは言っても、その灰色っぽい〈長すぎる〉袋状の物が、耳もとで乾いた音をたてるのは気色のよいものではなかった。何やら生臭い気配がまつわりつくような気もした。イマダ雨ニ濡レザルモノハ、取リテ[黒ク焼キ油ニテ煉リ]兀禿ニツクレバ則チ毛髪ヲ生ズ
と『和漢三才図会』に書いてある。ただし、薬効のほどは疑わしい。
(「あとがき」より)
目次
・脱いでいく
- 身業
- 口業
- 意業
- 催されて
- 忍辱
- 同事ということ
- ついてゆくもの
- 脱いでいく
- ありし日の名を
・今 どのへんを
- 松枯れ前線
- 月影堂にて
- ひかりごけ
- 今 どのへんを
- どこへ
- 刺されて
- 灌腸のあと
- 犬が吠える
- 意味のむこうで
- おひるね
・黄色い城
- 燕
- もったいないこと
- 紫陽花童女
- ごめんなさい
- 黄色い城
- 藤の花はなぜ咲くか
- 見つめないでおくれ
・それだけではない
- 平和について
- 夜刀の神
- くせ
- 愛語について
- それだけではない
- サーファーA君に
あとがき
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