1998年12月、朝日新聞社から刊行された田村隆一(1923~1998)の遺稿詩集。装幀は菊地信義。
私事になるが、田村さんの訃報に接したのは旅先のホテルで読んだ地方紙の夕刊でだった。帰路は台風で交通機関が乱れ、それやこれやで私は弔問の機会を逸した。遅ればせながらここで誌面を借りて弔意を表したいと思う。田村さん、さようなら。
そういえば数年前のことになるか、どなたか「荒地」の同人仲間のお一人の計報が報じられた日の翌朝、それも早朝に田村さんから電話があった。とうとうおれとおまえだけになったな」全身これサービス精神のかたまり、のような人である。そんなあいさつを受けたのが、まさか私一人だったなどとうぬぼれてはいない。何人かの方が同じような電話をもらったことだろう。田村さん、またぶきみなことをおっしゃる、と私はいったが、私はうれしかったし、さびしかった。たぶん田村さんもさびしくて、それで早朝まで金色の液体の波間に浮き沈みをして、それから早朝の頃合いを見はからって、起きていそうなところに方々電話をかけられたのだろう。
とうとうおまえとおれだけになったな。そういって、からかったり、うれしがらせたりする相手が、私にはもういない。計報を聞いて、やみくもにだれかに電話をかけなければという思いに駆られたが、いざ気がついてみると、その「だれか」は一人残らず他界していた。身も蓋もなく、とうとうなけなしのおれだけになってしまったらしい。
(「まるごとの人/種村季弘」より)
目次
- 哀
- 緑の世界
- 養神亭
- 一滴の涙
- 花の咲かない木
- 黒いチューリップ
- 月は無情というけれど
- 青梅
- 鳥語
- 愉快な対話
- 美少女
- 疾走する午睡
- 牡蠣
まるごとの人 種村季弘
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