数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集 中尾太一詩集

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 2007年6月、思潮社から刊行された中尾太一の第一詩集。装幀はオータ・ナオ。思潮社50周年記念現代詩新人賞受賞作。

 

 ずっと「あとがき」を書いてきた気がする、というのは詩集を構想したときから「あとがき」のことしか考えていなかった、ということがあるからだろうし、なにを最後の言葉としてこれらの詩篇を手渡すかということは一冊の詩集の範疇に収まることではない、人の生に関わってくる問題としていつも思い出されることだからだ。その時点で、この詩集の、あるいは自分の言葉が受け取られる、ということは考えていなかった。読者という存在と書き手という存在のである場所にそれほどまでに希望的ではないし、その二つの言葉を使う際に出て来る制度に物理的な関心を寄せる事も出来ないからだ。けれど自分は読者として幾人かの詩を書く人間から確実に受け取っているものがある、と自覚するとき、決して修辞に還元されることのない、その「受取ったということ」を再び望むことは時制を継続的に超えていく勇気であるように思う。むしろ情動的にそういうことを言いたいために、この詩集の構想はあった。自分にとって、その内部においても外部においても、「手渡す―受け取る」という力線が引かれてきた軌道で突出した夢を見たとすれば「抒情の中心」という言葉だった。もちろん一人(一つ)でそこを目指したわけではない。要は自明であるこの詩集の形式的性格と、その中で抒情主体がなにを言葉で伝達しようとしているか、物語ろうとしているか、という二つ(二人)の構造に「抒情詩」の現在を自分なりに賭けたのだと言いたい。
(「あとがきにかえて」より)

 

目次

  • a viaduct
  • アーサー王
  • 夜明けのアーミン
  • 十二月に病んだ片言の君は始めに数度の殺傷を受けていた
  • 僕の致死量のウィスキー
  • 地獄も憐れむほど、方向音痴
  • その月は僕にとっては残酷な月だったけれど、君にはどうだっただろうか
  • nova
  • rivers
  • kimi ga saisho ni sinda
  • 聖エルモのながく、あかるい遺言
  • アギーレ
  • THE DAY U WAS A HORSE
  • ワンダーランド
  • 窓が開いていた
  • 最後はラブソングを、君に
  • 山手線のシーガイア
  • 暦の仕事
  • 数式に物語を代入しながら、そのようにして解くのではないことは知っていた

あとがきにかえて


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