1972年12月、檸檬屋から刊行された郷原宏(1942~)の詩人論。
郷原宏の詩論の全体を一貫するものは、つねに正統性を指向してやまぬ、剛直にして潔癖なその論理である。このことは、正統を指向することにいわれなき勇気を要求される風潮のさなかにあって、かけがえのないことといわなければならない。正統がやがて異端を生むにいたる蹉跌の道程を省略して、すでに到達された地点を継承することで足れりとする風潮にあって、彼の論述はくりかえしゼロから着手される。彼にあって、正統とはつねに出発の謂である。
郷原宏によっていまも書きつがれている詩人論は、六〇年から七〇年代へと輪郭もさだまらぬままの精神と情況のはざまへ、ひとりひとりの詩人の位置を沈めて行くことで終るものではない。彼にあって、それらの詩人論のひとつひとつは、くりかえし行なわれる彼自身の批評の出発のすがたであり、陥没を陥没として終らせることを肯んじない、復権の意志の証しとなるはずのものである。
(「序/石原吉郎」より)
目次
序 石原吉郎5
Ⅰ
- 出発なき帰還――「荒地」と「マチネ」
- 反コロンブスの卵――鮎川信夫ノート
- 暗喩または垂直的人間の破産――田村隆一ノート
- 詩人と民衆の間――黒田三郎ノート
- 全体性への回帰――五〇年代の詩人たち
- マリアの変容――清岡卓行ノート
- 証言するLoveSong――大岡信ノート
- ロシナンテの逆説――石原吉郎ノート
Ⅱ
- 「島へ」のためのノート――望月披孝について
- No! because――長田弘「青春の発見」
- 見られる至福と見る不幸――天沢退二郎論
- 危険な遊び――渡辺武信論
- 風景の失語――清水昶論
- 中心はどこにあるか――吉増剛造論
あとがき