1971年12月、母岩社から刊行された佐藤房儀の第2詩集。
私どもは日々、様々な情報の獲得と処理に息を切らせている。無限に飛来する言語を無差別におさめ、未消化のままはきだす。このあわただしい作業を一部でも停滞させれば侮辱され、無知として預斥される。みずから消化不良による体調の不順に気付きつつも、めまぐるしい循環の一員たることを止めるわけにはいかない。知識は流れ作業のベルトであり、人格はその上に乗った製品である。それでもなお、情報の不足に対する不安は、絶えざる渇望としてつきまとう。時によると、流動して間隙のない現実にも、一瞬の空白が襲うことがある。しかし遅延を恐れる心は、空白の瞬間を意識下に追いやる。だが、そこにこそ、生存の根源に対する解答への糸口があるのではなかろうか。
マックス・ピカート、の『沈黙の世界』(佐野利勝訳みすず書房刊)にも、類似する問題提起がみられる。神学者ピカートは、沈黙の背後に神の存在を観察する。が、私のごとく神々の不在しか認められない者には、同じ場所に多彩なイメージの展開相が覗かれる。時として訪ずれる生活の空白の背後に、詩の世界が垣間見られるのである。それ故に私の詩は、日常生活からの離脱ではない。日常性の内部に生じる空無の世界の依って来たる根源への模索である。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 無限軌道
- 地の果から
- 闇の中
- ある時間
- コカ・コーラ
- 今宵こそ
Ⅱ
- 生きて
- 笑い
- 幼ない聖者
- 隠れん坊
- ふたり
- 港
- 郷土博物館にて
- わかれ
Ⅲ
- 初夏の殺人
- 証拠隠滅
- 自殺日和
- 天変地異
- 侵蝕
- 流水
- 哄笑
- 終り
跋に代えて 伊藤信吉
あとがき