1943年12月、櫻井書店から刊行された大木實(1913~1996)の詩集。装幀は中川一政。画像は裸本。
詩集「遠雷」は前著「故鄕」につづき、私の第四詩集である。集中のなかばは私どもの「四季」を始め「新潮」「文藝」「文學界」「知性」「文藝日本」その他の雜誌新聞に、去年から今年にわたつて書いたもの、なかばは未發表のままのものであるけれど、詩そのものにはつきりした風別がある澤ではない。
いはゆる「私小説」に關して私の詩は「私詩」とも謂ふべきであらうか。これらの系列の詩のみが私の總てではないが、これらの系列の詩が今日までの私の詩の主流を形づくつて來たことも確である。詩のうへでひとりの人間の成長過程を通じて生きる意義を追求し、それは究極に於て「家」といふものに現されてゐる、古來からの生活精神、傳統繼承の美風を、更に發展させつつ未來へ享け繼いでゆくことに生命の在りかたを見出したことであつた。「屋根」「故鄕」で私はひたむきに自分を凝視した。「遠雷」に於ても勿論である。ただ「遠雷」に於て前二集といくらか異にするかと思はれた點は、眼が外部のものへや除除に注がれはじめた氣配を感じたことであつたが、果してどうであらうか。
「屋根」の私は青年であつた。
「故鄕」の私は青年と壯年のあいだにあつた。
そして「遠雷」の私は、一步壯年の門に步みをいれたやうな氣持もするけれど、思ふだけであらうか。
家のうらの根津權現の林で每日蝉が鳴いてある。けさは四時ごろ朝蜩の聲を聞いた。蝉は夏の幾日かを生きるために十何年かを地に潛むといふことを、少年の日に何かで讀んだ。詩人もまた一篇の詩をふところに溫めながら、その幾倍する心勞と月日を費すことであらうか。どんな時代にも詩人は何よりも良い詩を希ふこと、それが第一であり總てであらう。私もまた私の生涯を懸けて永遠の光芒を放つ一篇の詩を希ふものである。
アンリイルッツォは税鬪に勤めながら日曜が來ると書布や繪具を背負つて寫生に出かけたさうだ。私も私の詩のあらかたを夜間綴つては日曜に推敲清書した。「日曜畫家」と謂れたルッソオの生涯から私はふかい感慨と教示を享ける。
(「後記」より)
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