1990年10月、中央公論社から刊行された岡野弘彦のエッセイ集。カバー・扉は大貫泰子(平安つぎ合せ料紙)。
明けても暮れても、歌のことばかりを思っているとしたら、それは「歌ぐるい」というにふさわしいのかもしれぬ。
「くるう」という言葉も「ひとさし、おんくるひ候へ」といってくるいの状態に入るのを見れば、「あそび」「すさび」などと同様に、魂を望ましい状態に感染させ、感化させようとする、呪術的な目的を持っていたといえよう。そもそも「うた」そのものが、日本人の生活の中で、そういう生いたちをもって育ってきたのだった。
二十代のはじめの年齢で敗戦を体験し、折口信夫とめぐりあった頃から、日本人の魂のあそび・すさびとしての歌にとりつかれはじめたのだが、ちょうどその頃さかんだったいわゆる「第二芸術論」の刺戟も、いよいよ私を歌ぐるいにかりたてた。
西洋の近代の文学を計る物差で、どう計り切ろうとしても、計り切れないものを残した「うた」の精妙にとりつかれ、それによって敗残ののちの心をささえようとした一人の奇妙な若者は、そののちの四十年間、ほれぼれとただ「うた」のことばかりを思って生きてきたのかしれない。
この本に収めたものも、研究者としての文章でもなければ、評論者の論でもない。ただ、ほれぼれとした「歌がたり」のつもりだが、それにしては文体のぎごちないのは、私のいたらなさである。「うたう」と「かたる」は日本人の代表的な二つの表現様式であったが、近代に至ってこの二つの表現様式はまったく乖離してしまった。鉄幹も吉井勇もわが『伊勢物語』を書こうとしてあこがれたが、二つの文体の乖離にはなすすべがなかった。
本の題を「歌を恋うる歌」としたのは、その満たされない思いのはての、せめてもの願いをこめているのである。
収めた百三十余篇の文章は、十一年間にわたって、雑誌「中央公論」に連載した。昭和五十一年(一九七六)一月から五十二年(一九七七)末まで書いて、三年間休み、また頼まれて五十六年(一九八一)一月から、平成元年(一九八九)の年末まで書いた。それぞれの文章の終りに、発表年月を西暦で示している。
今度、改めて読み返してみて、さまざまな思いのよみがえってくるのを感じた。たとえば丸谷才一・中野孝次の両氏と雪の日の横浜を歩いてのち、「雪の日の午後」を書いたのは昭和五十二年のことだった。それから数年たって丸谷さんの『樹影譚』が雑誌に発表された。あの頃から心に育てていた思いを、彼はこんなふうに作品にみのらせてきたのかと、その「かたり」の芸の深い熟成に感心させられたことなど、忘れがたい思いである。
何より気になるのは、同じ歌についての話がくり返し出てくることだが、これも私の歌に執着する思いのたけが、こんな形で十余年の間の折々に出てしまったものとして、見ゆるしていただ。くよりほかはない。私の胸の底のこころ癖があらわになるのは恥ずかしいが、このままにしておく。
この連載を書いている間に、私の年齢はいつしか師の折口信夫の没年に至りついてしまった。「歌こそは一期の病」と歌って、歌にかけるすさまじい執着を示したあの人も、もうこれから先の年齢は生きなかったのである。ほれぼれとした歌への思いは、私の胸の中で、いよいよほれぼれと、するどくかすかなものになってゆく気がする。
(「あとがき」より)
目次
- 歌の虚言
- 異郷の春
- 自然と暦
- 萌えいずるもの
- 花のあわれ
- むかしの人
- 竹のそよぎ
- 海の歌(一)
- 海の歌(二)
- スポーツの歌
- 年中行事の歌
- 恋のあわれ
- 歌以前と歌
- 春の歌
- 危急を告げる春
- 砂の命
- 追憶の愛誦歌
- 巡礼の足音
- 雪の日の午後
- 雀の宿
- 蚕飼いの村
- 虫の声
- 秋のともし灯
- 浄き西空
- 鎮魂歌
- 新年を祝う歌
- 近江歌の伝統
- 初瀬の春
- 青春の歌
- 歌を恋うる歌
- 忘れがたき歌碑
- 夏の鳥
- 海の旅
- 鉄幹の歌
- 夜の鳥
- 秋の仮り庵
- 若者と旅の歌
- 睦月の歌
- 橋さまざま
- 虹と地霊
- 恋の手びき書
- 春のわかれ
- 歌と物語
- 歌わざる心
- 漂泊の歌
- 越中の家持
- 大震災と短歌
- 中国の旅から
- 熊野の海
- 地獄を見た歌
- 高貴なる死
- 宣長と桜
- 蔵の中の発見
- 彼岸の夕べに
- 太郎を眠らせ……
- ベースボールの歌
- 斎王の森
- 秋の声
- 歌と唄のしらべ
- 諏訪湖の歌
- 蜻蛉と古詞章
- 鬼の子の歌
- 穂に出し思い
- 雪の愛誦歌
- 桜の歌
- 雪の投稿歌
- 花のもとにて
- 草壁皇子の墓
- 鳥の歌
- 呪言の果て
- 吉野の古謡
- 鼠の歌
- スポーツと呪言
- 百人一首と諷刺
- 異郷の歌
- 閨怨の歌
- 修験の仏たち
- 百済を恋おしむ
- 乳房のあわれ
- 極楽と溲瓶
- 帰ってこない歌声
- 遊行の脚
- 「しらとり」とはどんな鳥
- 小さな愛の心
- 曼珠沙華の歌
- 恋歌の復活例
- はたすすきの歌
- 世の初発の愛
- 予兆としての桜花
- 誕生日は親の勝手
- 紺いろの鬼
- 男の妬心
- どんよりとくもれる空
- 飽食の歌
- ヨーロッパと短歌
- 古泉千樫
- 歌人の孤独
- 古き吉野の呪歌
- しらみの神世
- おとめらの雛まつる日
- 畑焼く男
- 海人部の伝承
- 多恨の女歌
- すばる幻想
- 夏鳥の声
- 信濃の国を行き行かば
- 浦島の玉手箱
- 霜夜のきりぎりす
- 鉄幹の抒情歌
- 呪言と異形身
- 実朝の怨霊
- 先生がなぜにえらかろ
- ふるさとの変遷
- 新しき伊勢物語
- 歌の名勝負
- 当麻寺の曼陀羅
- 防人の歌
- 少女たちの口語短歌
- 神道と人類教
- 眠りをさます歌
- 妬心を鎮める歌
- 人麻呂と黒人
- 実朝と老いの敷き
- 醜
- 夜の獣
- 古代の心と形
- 死と諧謔
- 死者に和する死の歌
- ほのかたらいし空
- 茂吉と修験道
- 詠み人知らずの歌
- 三代の御製歌
- 古今の連作歌
あとがき