1987年6月、土佐出版社から刊行された大江満雄(1906~1991)の自選詩集。装幀は織田信生。付録栞は、「大江満雄の維新思想」(上林猷夫)、「詩の自覚の歴史を貫く」(片岡文雄)、「義眼」(木村次郎)、「血の花を」(金子鐵雄)、「灰の中より『ヨブ』の声がきこえる」(尾崎驍一)。
わたしは、四冊の詩集の中から選んで『自選詩集・地球民のうた』を出します。
第二詩集『日本海流』(山雅房刊)に「地球民の歌」を入れたが、創元社版『全詩集大成・現代日本詩人全集・第十四巻』に収められた「日本海流」には「地球民の歌」は入れませんでした。なぜなら、表現を、ゆるされる範囲で改めたいと思ったからです。
一九四二年(昭和十七年)九月号「歴程」発表の「国家と詩」(評論)と「日本海流」に収めた「地球民の歌」を同時的に読んだ人は、わたしが、どのように厭戦感を抱いたか、わかるとおもいます。
わたしは”抵抗詩”を書く”ちから”はありませんでした。(”抵抗詩”とは何か。ここで、どのように定義すべきか、言うことを、さけます。)
自己の思想の弱体性を反省することが、なにより、と思いました。この詩集を出す気になったのは、一九八六年七月発行の川島豊敏の遺稿詩集『肉體』を読んでからです。
解説(猪野睦)・栞の文(依光隆・上林猷夫・熊沢昭二郎・佐川英三・山田一郎・片岡文雄)は、それぞれアピールする文です。
とくに、片岡文雄の「伝説の霧のあとに――川島豊敏論として――」と上林猷夫の「川島豊敏の詩と実践」を読んで感動しました。
上林の文は、同人雑誌を共にした詩友としての温情があり、片岡の文には同郷の後進の詩人としての発見性があり、川島の詩集によせたわたしの序文にたいする深い理解があると思いました。
わたしは、川島豊敏の遺稿詩集を出した国則三雄志とは、どのような人物か、詩作した人であろう、じぶんの詩集をもつ人かもしれないと思って尋ねました。予想したとおりでした。
わたしは国則三雄志の詩集を読んで近親感を抱き、ぜひ、この人の社から自選詩集を出したいと思いました。
全詩集は、藤原定兄の解説で死後出したい、と思っていましたが、ヨクがでて、できれば二、三年後に出してほしい、と思うようになりました。
この詩集は、片岡文雄・国則三雄志の友情によって出た詩集で土佐人もしくは土佐と関係ふかい、わたしより若い詩人のエネルギーによって出ます。
一人、一九三〇年代「沈黙の歌」を出した木村次郎にもおねがいしました。年譜では森田進にごくろうをかけました。
みなさん、わたしよりもわかい詩友ですが、”歴史的年長者”です。深謝(敬称略)
(「あとがき」より)
目次
・「血の花が開くとき」より
- 草の葉
- 血の花
・「機械の呼吸」より
- 着かざったコトバの中で思う
- 音のない大砲
- わたしたちの音楽をもった建築を
- 涙よ 結晶せよ
- 乳のでない母とミルクで育った子たちに
- 牛
- アディスアベバの老母
- 雪の中で
- 荒地に種を蒔く人を思いながら
- 機械
・「日本海流」第一部より
・「日本海流」第二部より
- 鷲について
- 鷲
- 二つの歌
- 長崎
- かの人
- 星
- おなじく
- 冷やかな眼のはてに
- 無限に とぢて
- 一日千年
- 崖上の花をとり
- 土
- 杉林の中で
- 四万十川
- ねむる時
- 松林
- 光の山
- 地球民のうた
・「海峡」より
- ゆめの中の ゆめ
- 敗戦の日
- ある戦死者のための墓碑銘
- 自戒の二行詩
- 春のブドウ園
- あけぼのの翼を かりて
- 雪の夜
- あの人たちの日本語を杖にも柱にもするな
- ゆめの中で わたしは思った
- 狭い部屋に住み
- ツガル海峡で
- 火
- ガリラヤの あなたに
- チミップ
- 一つの世界を
- 花
- 古い機織部屋
- かえることのない一回的なコトバ
- 歌の中の歌
- エオン
- 熱的な死が よみがえるとき
- あのとき
・「未刊の詩集」より
- 海
あとがき