荘厳なる詩祭 死を賭けた青春の群像 松永伍一

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 1970年11月、田畑書店から復刊された松永伍一(1930~2008)の評論集。装幀は宇野亜喜良(1934~)。

 

 ふりかえってみると、私にとっては詩について書くということは所詮詩人について書くということと同義であった、というふうに結論づげられる。そのよしあしは即断できないが、私としては、詩を言語論という枠のなかに閉じ込めておくにしのびないから、詩を絹糸にたとえつつ、それをせっせと吐く蚕の存在を大切にしようとしたのだろう。私は人間という生きものが好きらしいし、おのれを生かそうとして肉体すらも結果としてはすり減らしていく詩人に、〈神〉を見つつ同時に〈悪魔〉を見ているのである。自分としてはとうていそこまではなれないのではないかとおもったとき、それらの夭折者たちの生の全容にわけ入ろうと試みるのである。『荘厳なる詩祭』は、そういう私の内なる課題から生まれたものである。私は〈地獄〉の方へ下降していこうとするおのれを、冥い闇のなかにおし立てて、それのみを信じようとする癖があったし、いまもそれはありつづけている。
 この本は一九六七年夏に、約二十日間で書いたものだ。その辺の事情を若干書いておく必要がある。
「ある日、わが愛する青年がきて〈影の詩史のニンフたち〉を雑誌『文芸』(一九六七年六月号)に書けといった。死者を復権させてやろうというお節介を結果的にはしたことになったが。そこに書いた詩人たちを私はさまざまなおもいで近しい関係においてきたために、ついかれらの生と死のすさまじさに魅せられつつ、かれらの内部に侵入していく自己を許してしまった、というのがこちらの言い分である。俗物だから可視的世界に眼を投げては怒り、憎み、愛し、そこから〈人間〉を重石をかかえるように手応えのあるものとして確認したいという我慢がつい癖になってしまった。どだい教養といわれる枠が性にあわぬので、もえはじめた反倫理の薪は、かれら影の詩史のニンフたちの鬼火に変わっていくという始末で、世の流行に逆行する破目となった。」
「そしてある日、若いはじめての男があらわれ、一冊書かないかとおだてた。『日本農民詩史』を頭に詰めこんで生きている時間の重苦しさから、ひと季節だけ脱柵し、自己を語る精神の苦々しさと健康さを得られるならば得てもいいとおもい、游泳するように、また遊撃するように、抱擁するように、また拒絶するように、詩を書くことによってとりかえしのつかぬ青春を燃やした〈人間〉を書いた。これはその貸借対照表だ。」
 つまり詩人の清水哲男君が『文芸』できっかけをつくり、徳問書店の奥山国男君が本にしてくれたのである。一九六七年十一月のことだ。
 この本を書くことによって私の内部に僣みつづけていた悪霊たちが顔をのぞかせたが、それを私の不倫の祭儀と見て論評してくれたのは磯田光一氏であった。『芸術生活』(一九六八年一月号)の書評は、これまで誰も私のデモニッシュな部分をよみ取れなかったのをはじめて指摘してくれたものだった。こういう批評に出会えたことだけをとっても、私は満足すべきであったが、若い読者がいままでにみられぬ熱気をこめた反応を示してくれたのも嬉しかった。だから忘れられぬ木だ。
 それから三年がすぎた。この本の在庫がなくなった。本を求めたいという手紙が来、電話が来て、私は正直なところ困った。東京中の古本屋に一冊も出ないという事実が、未知の読者を刺激したのであろう、私はそれらの読者のためにこの本の再生をひそかに考えつづけていたが、こんど徳問書店との円満な話しあいの上、『土着の仮面劇』を出してくれた田畑書店が新装版をつくってくれることになった。ありがたいとおもう。(「あとがき」より)


目次

  • 影の詩史のニンフたち
  • 荒淫のはての孤独祭 藤田文江
  • 悶絶のうた 竹村浩
  • 花骸の執念 淵上毛銭
  • 雪と赤旗の葬列 長沢佑
  • 苦々しき変身 小笠原雄二郎
  • 嵐のなかの野人 渋谷定輔
  • 沈む真珠 浜口長生
  • 非転向の鞭 陀田勘助
  • 海は凍っていた 長沢延子
  • 悪魔と美少年 村山槐多
  • 無声慟哭 宮沢賢治
  • 消された足跡 大塚甲山
  • 郷愁の内面 石川啄木
  • 上州自殺考

あとがき


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