1941年4月、河出書房から刊行された伊波南哲(1902~1976)の随筆集。旧版。装幀は鈴木信太郎。
晩秋のうすら寒い宵であった。
あの頃、近衞の三聯隊では千葉縣下に於ける秋の出張演習を了へ、長い道のりを六キロ行軍をしながらやつてきたので、兩國橋あたりまでくると體は綿のやうにへとへとになり我慢の出來ないほど疲れきつてゐた。でも軍律の嚴しさ、顎を突き出したま、馬場先門から宮城の外苑に差しかかつたとき、楠公銅像に通ずる芝地の角に馬場先門の交番があって、そこに若い巡査が凛として立つてゐた。
交番の赤い軒燈に照らされて巡査の帽章と庇が美しく輝き、冬の外套の金釦が整然として竝んでゐるあたり何かしら冒し難い氣品と威嚴があつた。
何んて立派だらう。と思つた私は急に元氣が出て、突き出た顎もいつの間にかシヤンとして歩いてゐた。
帝都の治安を護る――この激刺とした意義深い男らしい職務に若き日の情熱を傾倒することは、軍隊に於ける偉大な體驗と同じく美しいことであらねばならない。
そこで、除隊をしたら警視廳の巡査にならう。と決心したのはそのときからであり、同じ巡査でも陛下の御膝下にありて宮城の聖域を護りたいと念願してみたことが、悉く實現され、私の若き日の情熱は日夜そのことのために動員され、今日迄御奉公への生活が繰りひろげられてきたのである。
その間、交番から東京驛警備、内勤等々と十五年の星霜は徒らに流れ、喜びや悲しみ、惱み苦しみと人の世のさまざまな姿が、交番の窓に映じ、うたかたの如く消え喪せるのであつた。
然かも私には一つの病氣があった。それは幼ない頃から持ち續けてきた詩人としての魂である。この持つて生れた魂と云ふものは如何なる環境に於ても育ち、凡そ、それとは縁遠いやうなところにあつても平然として芽生え、且つ花開くものなのである。
そのために私は警察の變わり種にされ、詩人巡査とも云はれた。
きびしい警察機構の中にあつて勤務と藝術を如何に生かして來たか、然かも私たちの同僚が十年一日の如く默々として遠の昔から如何に新體制を實踐してきたか。さらにまた、交番の窓に映るさまざまな世相、警察の窓から覗いた社會の表裏を如何に考へ如何に處理してきたかといふ、云はば私にのみ許された「交番日記」を玆では書いてみたいと思ふ。(「序」より)
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序