白樺の園 白樺同人

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 1919年3月、春陽堂から刊行された白樺同人のアンソロジー。装幀はバーナード・リーチ

 

 A。此本はどう云ふ本なのだ。
 B。白樺同人の著作集で、此前に新潮社から出した「白樺の森」の第二集のやうなものだ。だから各同人の一番自信のある作を集める爲めに出した本ではなく、君も知つてゐる通り、吾々が建て度く思つてゐる、公共美術館へ皆で印税を寄附し度い爲めに同人共同で出した本なのだ。尤も頁數なぞの都合はあつたが、相當に自信のない作の集まつたものでない事は云ふ迄もない。めいめい特色の疑はれる、面白い、記念になるいゝ本だと思つてゐる。併し君は僕等が深く敬愛する泰西の天才選の製作にあこがれ、日本で多少なりとも其本物の作品に接し得る悦びを味ひ度く希ふ餘り昨年の暮に公共美術館を建てる事を發起した事は知つてゐるだらう。
 A。知つてゐる。では君達がその寄附金を募集し始めてからかれこれもう一年になるわけだね。一體もういくら位集まつたのだ。
 B。吾々は一圓以上の金を大正八年三月二十日迄に寄附した人を第一回の會員と認め、美術館が出來た時にその人に終身バスを進呈する條件にしてるるが、今迄集つた處では會員は六百名以上で寄附金は三千四百圓許りだ。
 A。未だそれだけしか集まらないのか。
 B。さうだ。三千圓餘りでは未だセザンヌの板ペラが漸く一枚買へる位のものだ。天才の作に對する愛と、それに接し度い熱心とに於て此六百名は如何なる美術館設立の寄附者にも劣らない點には自信があるが。
 A。金が少いわりには人数が多いのは頼もしい事にちがいない。しかし今そんな事を此處で饒舌るのは損ではないのか。
 B。損かも知れない。併し僕等は金を出し度くない人に寄附を請求しないでも、いつか此企てを實現させて見せるつもりであるのだ。
 A。本當に君達はそれが實現出来ると信じてあるのか。
 B。僕達は結果を信じるからやるのではない。建て度いから建てやうと思ふのだ。そしてそれの建つ事を本當に希望してゐる人が存外少くない事を信じてゐるから猶更建て度く思ふのだ。そして又やれる處迄やつて見れば存外道は開けるものだと云ふ事も知つてゐるから。躊躇してゐたらキリはない。一體多くの人はかう云ふ餘り人のしない企てを無暗に大袈裟に考え過ぎてゐる。不可能の方にばかり誇張して考え過ぎる癖がある。吾々だつてもし数年前の白樺同人だつたらこんな事は企てはしない。しかし今の白樺同人ならこれ位の事を企てるのは決して無謀ではない。根據のある企てだ。そしてもう少し考えれば之が決してそのやうに考え深く躊躇する必要のない事であるのが分ると思ふ。吾々は何も數十萬、數百萬の大金を集めやうと云ふのではない。勿論多く集まれる丈け集まるに越した事はないのは云ふ迄もないが、せめて二三萬の金でも集れば手頃な會場を東京市內、がその附近に建てゝ熱心な愛好者を悦ばせる事は必ず出來ると思つてゐる。そしてさう云ふ悦びの實現には多くの人の考えるやうな莫大な金は必ずしも必要ではない。吾々が今迄やって來たやうなやり方で今一層の熱心と、根気とを以てやれば數年の中には出來得ない事では決してないのだ。只人がかう云ふ事だと云ふといやに大袈裟に考えて躊躇し過ぎる事が一番障害になるのだ。何方にしても未だ失望したり、成功を疑つたりするのは早過ぎる。吾々は勿論末だやれる處迄やつてはゐないのだ。
 A。しかし募集の期限と云ふものがあるのだらう。
 B。そんなものはない。大正八年三月と云ふのは第一期の募集期だ。第二期、第三期、第四期と吾々は飽く迄根気よく寄附金を募集して倦むまい。どんな仕事でも、價値のある仕事なら、一朝一夕には成就しないものである事を僕等は知り拔いてゐる。そして、その根氣の點には僕等は自信があり過ぎる程ある。
 A。しかし何しろかう云ふ事は只熱心と根氣ばかりでは行かない事だからね。熱心が物質上の資力と相俟つて、それを利用しなければ出來ない仕事だからね。そしてさう云ふ事に熱心になれる人は概して金力には縁の薄い人達だからね。
 B。さうだ。僕等が百年かゝつて大なる熱心のこもつた少い金を募つて漸く出來る仕事を凡そ美術に縁の遠い俗悪な金持ちが俗悪な動機で朝飯前にやる事が出来る。しかし僕等の建てやうとする美術館はたとへ當分の間は外觀の規模は小さく、陳列品の數は少くとも、本當の美に對してあこがれを持ち、眼識ある者丈けが集め、優れた美術に對する真賞な愛求者のみによつて集められた美術館である事を證明するだらう。其處には所謂非常な大作は懸けられないかも知れない(未來の事は分らないが)併し一つとして心ある者の足を其前に踏み留めさせないやうな畫は一つもない事は確かだ。此美術館はその内容の選ばれてゐる點に於て、玉石混交のない點に於て、小さくとき、最も純粋な、世界に特色ある建物となり得るだらう。吾々はブランギンの大作を二百枚陳列するよりもホッホや、セザンヌの一枚の板ペラ、或は二三の素畫を以てその百倍のエクスタシーを味ふ事の出来る者だ。吾々は美や、真理に縁の遠い人々に頭を下げない。金持ちの前に己れを卑しくして寄附を懇請しない。それをさへ敢てすれば二三萬の金を集める事は容易である事は知り拔いてゐる。併し吾々はそんな事をする必要はない。吾々の目的を辱しめない範圍に於て金持ちからでも素より寄附は拒まないが、なるべくならば無理をせずに精神に依つて精神を買ひ度い。吾々と同じ要求の印しの集まりに依つて不滅な心靈の勝ちどきに接する悦びを買ひ度い。作者の霊に満足を與へるやうな買ひ方をし度い。その爲めには吾々は強めて急がない。塵積もつて山をなすつもりで集める。だから寄附して吳れる人も輕卒に、性急に失望したり、危ぶんだりせずに吾々共同の成功に力を添えてほしい。ものになるかならないかを危ぶむよりもものにする事を望んでほしい。さうすれば數年の中には屹度ものになるであらう。
 かくしてその美術館が出來上つたならばさう云ふ物が人の熱心に依つて出來るものだと云ふ事賞を果のあたり見得る丈けでも吾々にとつてはどの位の悦びであるか知れない。しかもその場內に入る者は一種他の美術館に入った時とは違ふ天才の仕事に對する多くの熱誠のこもつた讃美と美に對するあこがれと、愛との厳粛な結晶をその心に感じる事であらう。
 そしてさう云ふ事を太らせる爲めには喜々同人の仕事の生長が直接間接に與つて力あるに相違ない事も亦面白いと思ふ。かう云ふ仕事を金持ちに媚びる事をせずに企てるのも白樺式だが、やり始めた以上は根気よく時を待つて、希めく退かないのも白樺式だ。が、白樺式はとに角として、日本の爲めにも此美術館の建つ事を切に祈り、そしてその爲めに一册でも多く此善き本の寛れる事を自分は望んでゐる。
 裝傾は今度もリーチがして呆れた。氣持ちよく出來たと思つてゐる。挿し畫には見本としてセザンヌと、ホッホの油繪を一枚づゝ入れた。先づかう云ふ人の書を買ひ度いと思ふので。
 猶ほ此公共白樺美術館が現在持つてゐる作品はロダンの青銅「口ダン夫人」「或る小さき影」「巴里のゴロツキの首」の三つ。アウガスタス・ジヨーンの素畫「女の自像」及びラムの素畫等である事も例によつて附け加へておく。
 會場はもつと金が集つてから定める。
 白樺美術館の幸運を祈り度い。
 誰か序文を書かなければならないので今度はとりあへず自分が書いた。
(「序文のかはり/長與善郎」より) 

 
目次

  • 実験室(小説) 有島武郎
  • 慧子の死(小説) 志賀直哉
  • 或る心の記事(小説) 小泉鐵
  • 船員の死(小説) 千家元麿
  • ある日の出来事(脚本) 武者小路実篤
  • 一つの時代(小説) 犬養健
  • 義母の死(散文)ある小景(小品) 長与善郎
  • 宵宮の灯籠(和歌) 木下利玄
  • 無為に就て 宗教的時間(論文) 柳宗悦
  • ある男の寄附 五分間の出来事(小説) 近藤経一
  • 妹の結婚とその兄(小説) 園池公到
  • 彫刻論稿(論文) 児島多久雄
  • 十二年前の手紙(小品) 有島生馬
  • 矢はれた原稿(小説) 里見弶


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