1978年5月、蜘蛛出版社から刊行された広瀬正年の詩集。
四十半ば頃から、文学から遠ざかり社会福祉運動に熱中したわたしは、知らずして、否、当然ながら政治の渦流の中に両脚をつきこんでいた。今春来すべての雑事から遠く離れて、古い詩作をまとめたり、短編小説の書き直しに苦労したり、ほん訳にルーペを使って辞書をひいた。ここに出版する詩集は、第一部が四十から五十才代のもの、第二部は、神戸市長選に革新市政が誕生した後、六十才から六十五才までのもの、この間の詩は発表する機関を持たなかった読詩余録とでも称すべきものか。第三詩集となるべき筈だったものは、いささかならず老衰した現在のわたしのものである。
医者でありながら、親友と称するに足る友人を持たなかったが、文学、経済、絵画など多くの知友に恵まれた。この偏くつな男の生涯も残すところもう五年か、神戸の街をこよなく愛し、独居生活にいつとはなしになじんでいる。
わたしは、難解な詩を書くような能力を持たない。平明で美しい日本語の詩を書きたいと希った。それにしても難解で有名なエリオットの詩でも、氏の自己朗読を聞くとなんだか解る気がする。朗読に耐え得るような日本語・現代詩の何篇を数え得ようか。
中国でもヴィエトナムでも、詩は常に朗読に耐えるものだったらしい。わたしは、俳句や短歌のことを言っているのではない。へらず口を憎み給うこと勿れ。
(「あとがき」より)
目次
序
第一詩集
あとがき 富士正晴
第二詩集
- 記憶(その一)
- 記憶(その二)
- 記憶(その三)
- 記憶(その四)
- 記憶(その五)
- いま暫くの
「灰復期から」
第三詩集
- ひまわり
- ひまわりの花に託して(遺文)
- 遺文
- 沈黙
- 無題
- かなりや
- ねこ
- 酒をすすめる
- 海をみつめて
- ヴィエトナム
- 無題
- 本を焼く
- 偶成
- 春を待つ
- 墓石に刻む
- エピスターフ
- 詩
- 散歩
- もう一、二度の五月
- あなたに
- 遠き途なり
- 井伏鱒二氏の詩を借りて
- エピスターフの補足
- Bury her at Even
あとがき