1998年6月、ビレッジセンター出版局から復刊された梁石日(1936~)の第1詩集。画像は復刻版の第2刷。
この詩集はわずか十三編の作品によって構成されている。あまりにも少なすぎるが、これらの作品は表題と同じタイトルの詩「夢魔の彼方へ」を除いて、十八歳から二十二歳までに書いたものである。表題と同じタイトルの詩「夢魔の彼方へ」は東京でタクシー運転手になって三、四年目頃に書いた最後の詩である。
振り返ってみると、私にとって詩は熱病的なまでに寝ても醒めても四六時中、頭から離れず、詩の世界にとりつかれていた青春の一時期に一瞬深い闇をかい間見た世界であった。それはまた戦後詩のもっとも華やかなりし時期と重なっていた。政治の季節であり文学の季節でもあった状況の中で、私は否応なしに世界と向き合い、それが後年、私の文学の原点になっている。
私の詩作期間は四年くらいでしかない。したがって私は詩集を出そうと考えたことなどなかったのだが、ふとした機会に私の詩の原稿を一読したある小さな出版社の編集者が一冊の詩集にまとめてくれたのだ。一九八〇年八月だった。この詩集の出版を契機に、私は一年後に小説『狂躁曲』(ちくま文庫『タクシー狂躁曲』、映画『月はどっちに出ている』の原作)を世に問うことになり、私の作家生活が始まる。四十五歳であった。
私はよく、いまでも詩を書いているように思われているが、「夢魔の彼方へ」を書いた後は一行の詩も書いていない。私はあまりにも早く詩の世界に没入し、あまりにも遅く小説の世界に入ってきた。私は両極端な人生を生きてきたが、文学の世界においても両極端である。すでに人生の大半を浪費している私にとって、このたびビレッジセンターから詩集『夢魔の彼方へ』を復刻してもらえることになって喜びにたえない。
(「あとがき」より)
詩集『夢魔の彼方へ』の第一版は、一九八〇年八月に梨花書房から刊行されたが、それから十六年後にビレッジセンターの社長中村満氏の好意で千五百部復刻された。素晴らしい装丁と鵜飼哲氏による充実した解説の詩集である。そして今回、復刻版の二刷が普及版として刊行されることになった。売れないといわれている詩集が二刷になり、しかも三千部という発行部数は詩集としてはあまり前例のない部数である。
これだけの部数が発行される大きな要因の一つに、最近幻冬舎から出版された私の著書『血と骨』が短期間に十二万部を突破する勢いで売れ、『血と骨』の売れ行きと並行して私の他の著書も売れるという相乗効果を起こしている。詩集『夢魔の彼方へ』もこうした相乗効果の一環であろう。
『血と骨』は第十一回「山本周五郎賞」を受賞したが、『血と骨』と詩集『夢魔の彼方へ』は文学的に深いつながりがある。「夜を賭けて」という詩は同じ題名の小説『夜を賭けて』(第百十三回直木賞候補)の原型であり、「深き渕より」という詩は『血と骨』の原型になっている。つまり詩集『夢魔の彼方へ』は私の文学と思想の原点なのである。その原点である詩集『夢魔の彼方へ』が多くの読者に読まれていることに私は深い感慨をいだいている。
(「普及版へのあとがき」より)
目次
- 深き淵より
- 夜を賭けて
- 血は溢れる
- 無明の時
- 冬の海
- されど暁に
- 夢魔の彼方へ
- 獏を喰う男
- 空
- 果てしなき幻影
- 影の踊り
- 邂逅
- 睡眠病