1990年8月、邑書林から刊行された坂野信彦(1947~)の評論集。附録栞は前登志夫「寸感」、山中智恵子「静かに立てり」。
わたしたちの日常生活は、すみずみまで区分けされた概念と、つねに常識的につじつまの合った論理によって規定されている。そのなかで意識される感覚や感情は、すでに概念によって分節され論理によって合理化されてしまったものばかりである。現在、短歌はもっぱらそのように分節され合理化された感覚や感情ばかりをテーマとしている。したがって現在、短歌は皮相な日常世界に閉塞されながら、概念の明確さと論理の一貫性を基本的な成立要件としている。短歌は概念と論理に隷従しているのである。そしていうまでもなく、概念と論理は散文に対応するものなのである。
わたしたちは、短歌がうたであること、律文であることを何よりも重視する。律文は散文とは相容れない。短歌の四拍子の音律は、その原初的な律動性によって、概念的な思考力を麻痺させ、意識下の感性をゆりうごかす。その力を可能なかぎり効果的に活用して精神の深層を顕現すること、これこそが律文芸たる短歌に課せられた最大の使命でなければなるまい。わたしたちは、日常生活において表面に現れることのない、無意識のふかみにひそむ感性のみをテーマとする。わたしたちは、もはや実生活上のもろもろの事柄や情緒を問題にすることはないだろうし、もはや知的な認識による構成やレトリック(とくに比喩)に依存することもないだろう。わたしたちはまた、感性の解放を妨げてきたさまざまな因襲――事実性や現実性の原則、論理的な統一性、倫理的な制御、美的な判断、意味的な明瞭さ、文法や仮名づかいの規則……等々に、もはや束縛されつづけてはいないだろう。
日常的、因襲的な諸規範をひとつひとつ払いのけてゆくことは、世俗化した短歌を律文ほんらいの純粋なすがたに浄化させてゆくことを意味する。深層をめざすわたしたちは、ひたすら純粋短歌、への道をつきすすもうとするものである。わたしたちの歩みのあとには、雑駁な表層短歌のおびただしい残骸がむなしくとりのこされるだろう。
(「深層短歌宣言」より)
目次
Ⅰ
- 主題とは何か
- 挑発としての短歌
- 深層へ
- 深層の開示
- 寺山修司のめざしたものら
- 表層の旅行詠――岡井隆『中国の世紀末』をめぐって
- 短歌にとって韻律とは何か
- 比喩の陥穽――永田和宏批判
- 深層短歌原論
- 比喩全廃論
- 呪文と短歌
- 結社について
- 反論への反論
Ⅱ
・小文集
・一首鑑賞
・短歌時評
- 憂うべき”散文短歌”の流行
- 石川啄木と現代短歌
- 本当の豊かさとは
- 概念歌の氾艦
- 霊的感性の時代へ
・付論
- 韻律の原理
- 俳句と短歌
- 音律と解釈
あとがき
書評等
坂野信彦『深層短歌宣言』を読む