1998年5月、深夜叢書社から刊行された森崎和江の詩集。装画は菊畑茂久馬、装幀は高林昭太。
四月下旬の今日は、六月の暑さです。異常気温がつづいています。ここに数篇の詩と二つのラジオドラマを収めました。これらは互いに関連しつつ、それぞれの結晶へとむかったものたちです。いずれも一九九四年ごろから九七年へかけての作品です。
私は二十四・五年以前に、深夜叢書社の齋藤愼爾さんから詩集『かりうどの朝』を出版していただきました。そして、また今回お世話になりました。ほんとうに、ありがたく思っています。
むかしのその詩集のあとがきに、「私は、詩とは、本来、他者とのダイアローグであると考えていた。自分以外の、自然と人々との」と書いています。この思いは今もかわりません。
しかしダイアローグということばは不十分です。私は、子どもの頃から鉛筆やクレパスをおもちゃにして一人遊びをしていました。そして、いつしか、心やからだに響いてくる自然や人や生きものとの、共振ともいえる世界を感じていたようです。それはかつての朝鮮で生まれ育った私が、話しことばのちがう人びと―――朝鮮や中国やロシアやヨーロッパの人たちもいました――の、大人たちをも、ちいさくちいさく思わせるほどの美しさと広さで、朝や夕方の空が色調を変えることに心打たれ、ぽろぽろ涙をこぼしていたことなどと関連していると思います。小学校入学前後から、しばしば、そうした体験をくりかえしました。
その、自然界といのちとのシンフォニーへの愛をはぐくんでくれたのが、「日帝時代」の大地であったこと、また、その大地に響きわたっていた歌とリズムであったことが、つらくて、幾度となく崩れました。それでも類似する苦悩は地球上に満ち、歴史に刻まれ、姿をかえてつづきます。
それでも、表現とは、自分と外界との響きあいを、ことばや音や色や形へと対象化させることだと思いつづけてきました。というよりも、生きることとは本来そういうものなのだと考えるようになってきました。そして、いくらか具体化させつつ今日の社会や文明と対応してきた思いがしています。
その中で何よりもたのしい作業のひとつが、ラジオによる作品化でした。これは私ひとりの作業では不可能な表現です。直接作品化してくださった斎明寺以玖子さんの文章まで、この詩集にそえていただきました。私は、ラジオのために書きますものは、私にとっては散文詩という思いがあります。それこそダイアローグの多面性がたのしくて、風や木の葉とささやきあい、踊りあうおもしろさをも、言外の表現として書いてしまうのでした。そのときの、見知らぬ誰かの、音響感性への、ときめき。その喜びなしには、ことばにならない詩的表現なのです。
(「あとがき」より)
目次
・地球の祈り
- 今朝
- 空へ
- 水
- 森
- 空
- 耕土
- 地霊
- 笛
- 月夜
- 八月
- 蝶
- 夏
- なぜ
- 二人
- 秋分
- 墓
- 月
- 滝
- 朝やけ
- 祈り
- 木
- 川
- 森
- そのあたり
- ・水のデッサン
- ・筑後川哀歌
- ・洱海(アルハイ)の五詩
- 雪どけ水
- あすは水把節
- 白族の村の広場
- 山の幸
- 地球の涙
- 余録
・ラジオドラマ
- いのちの木の方へ
- 地球の祈り
- 演出ノートにかえて――副調整室からの手紙 斎明寺以玖子
あとがき