2000年6月、ふらんす堂から刊行された恩田侑布子(1956~)の第1句集。装幀は秋山祐徳太子。刊行時の著者の住所は静岡市。
私が好きな中国の言葉に「相安相忘」という対語がある。その二人はお互いに会っているだけでも楽しく、そのうちに時間がたつのを忘れ、さらにそうして向かいあっていることさえ忘れてしまう、というのである。
私が句集『雪女』を刊行したのはもうひと昔前のことであるが、おかげでそれから今日までの間に何人も、そういう真率な友人にめぐりあうことができた。
それらの友人たちに共通していることの第一は、ほかでもない。それぞれの魂の表現としての俳諧に対する、ほとんど身体的な志向と執心である。第二は、それぞれの現身というはかなく滅びやすいトランスを鍛冶して、石の上の露を金剛石に晶化しようという熾烈な意慾である。
無論、恩田侑布子さんもその一人であるが、かつて三伏の川原の石で土踏まずを肉かれながら安倍川の清流へ急いだ少女が、それからどんなふうにして成人し、どんなふうにして近代という荒野を歩いてきたのか。そのめざましい奮闘の過程は、帯に掲出した十句を見て頂いただけでも明らかであろう。
御覧のとおり、ここには安易な現実再現者、あるいは風俗模倣者流の句は一句もない。なかんずく、死に真似をさせられてゐる春の夢
は、本来ならば靉靆たるべき春夢の中で、何かが「死に真似」をさせられている。いや、それはひょっとすると性的な擬態であるかもしれないが、いずれにせよ、その主体が夢の中で見ている表象であることに変りはない。そういう夢の入れ子構造によって、何か際限のない謎に取り憑かれてしまいそうな気がしてくる。それほど夢魔的で、多声的(ポリフォニック)な佳句だと思うが、それでは「死に真似をさせられてゐる」のは、いったい誰なのか。もし、そう尋ねられたら、作者はおそらく、
「それは、それぞれの命を脅かされている虫や鳥や獣のすべてであり、その象徴としての私です」
そんなふうに答えるのではあるまいか。
しかし、「死に真似」に耐えるということは、魯迅のいわゆる「死んだふり」を引き合いに出すまでもなく、近現代の圧倒的な暴力に対するもっとも究竟かつ屈撓な、全人間的な解放のための当爲でもあるであろう。
はたしてしからば、「うすもも色」に染まった夕富士の麓で少女時代を過ごしたという作者は、まもなくこの夢魔的な入れ子構造の中から脱出して、まっすぐ豊醇で苛烈な造化の根源の方へ歩きだすであろう。やはり跣で、海からの風に髪を吹きなびかせながら。そうして、その途中の桜に囲まれた吊り橋の真ん中で、それまで否応なく彼女から引き裂かれていたもう一人の「私」に出会うであろう。
私はその日のさして遠からぬことを信じて疑わない。
(「序/眞鍋呉夫」より)
目次
序 眞鍋呉夫
- 恋一
- 死に真似
- 水の靨
- 弥勒
- 光の鳥
- 恋二
あとがき
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