1981年12月、編集工房ノアから刊行された永瀬清子(1906~1995)の随筆集。カバーは松島明、装幀は粟津謙太郎。
主として家庭内の仕事に、又戦後は農事に忙しかった私は、男性詩人や、或は若い女性の詩人に比べても、交友の範囲は狭く、又、その人々にお会いする事に費した時間もごく短く僅かでした。
しかしそのすき間からのグリンプスによって忘れ難い人々もあり、思い出しては書きつけていたものが次第に溜って来ましたので、友人のすすめもあり、まとめて編集工房ノアのお世話になることに致しました。
それに大正の終りからかけて、ほぼ半世紀にも渡る期間のことなので、逝去された方、年とった方の事が多くなり、若々しく今活躍している方の事に至りませんでした。そのほか、親しい友人で却って書き落した人も何人かあります。できればそれは又の機会に書き継ぎたいと思いますが、印象にまかせて書き、よみ返してみると、果して何の役に立つとも解らぬ一人合点の一冊であるかも知れません。又、私の瞳にうつった人々を、外からのぞきこまれて、私のまともならぬ面も却って明らかになるかも知れません。が、ただ、長い年月にわたってのこと、ある印象を大切に温存していたという点でだけでも親しみを感じて下さればうれしく存じます。
第一章は、私の最初の「短章集」(昭和四十九年刊)に入れるつもりで書いていたものなので、昭和四十七、八年ごろには出来上っていました。頁数その他の関係でとり除けておいたまま、その後ばらばらに諸誌(井本木綿子さんの「馬」など)に多少手を入れては発表していたのでした。第二章第三章はそのあと昭和五十年代に入ってから書きましたが、第四章が一番古く、これは昭和二十七年の暮に日本文教社から出した「女詩人の手帖」という随筆集の中の「逢いたる人々」という章などからその大体をとりました。
いずれもこんどの出版に際し、重複の部分を若干とりのぞくなど、手なおしした所もありますが、それも濃淡あり、大体はもとのものに準拠しました。そして松島杜美さんの息、松島明さんに装画を、装幀を粟津謙太郎さんにご依頼しました。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ なつかしい人々
- 高村光太郎先生の呼び声
- 逸見猶吉と風呂敷包み
- 小熊秀雄の行数
- 岡崎清一郎先生の清遊
- 井伏先生の夏みかん――実生の木と連峰
- 靴下の傑作――壺井栄さんの手編
- 北京の遊楽――火野葦平と中村翫右衛門さん
- 大阪のころ―――岩田潔のことなど
- 北川冬彦氏の背中
- 親分草野心平さん
- 宮沢清六さん
Ⅱ さまざまの邂逅
- 宮沢賢治について
- 歯にあたる山椒の実――三好さんの癇癪
- 藤浦洸氏の魅力
- 山内義雄先生の無償の行為
- 正宗敦夫先生の死生
- 井手詞六の生涯
- 木下夕爾の句について
- 歴史と詩のあいだ――盲人葛原勾当の日記と小倉豊文氏
- 遺太さんの世界
- 傷ふかき人・吉塚勤治――その背景には常に廃墟があった
Ⅲ わが女星たち
- 宮本百合子の痛み
- 深尾須磨子・誇りたかき女詩人
- 港野喜代子のことども
- 松村緑さんと泣菫
- 未完の魂――杉山千代さんのこと
- 松島杜美さんの佳きいのち
Ⅳ 「女詩人の手帖」より
あとがき