雲間 金谷完治

 1938年9月、野田書房から刊行された金谷完治(1901~1946)の短編小説集。

 

 創作集「雲間」を世に送り出すに當って作者として感無量である。
 一中學教師を目指して上京した自分が小說書きになって見ようかと、とんでもない野心を起したのち早稲田といふ學校に籍を置いたからであらうか。昭和五年にはじめて同人雑誌といふものに加はり、その年に書いたものが「奇術師」で、その翌年に「空の戀愛」「花束」と云ったるのを書き、「雲間」に至って、はじめて自分の見詰めた文學の境地が開けもしたし、決ったやうに思はれた。
 續いて「焔」「熒惑」を發表して來たが、このうち「滿潮」だけは、どの雑誌へも發表しないもので、この創作集を出すに當つて書き下して附け加へたものである。長い間勤めの片手間に書き綴った作品だけに初期のものと最近のものとはまるで作風が變ってきていて校正し乍ら今更のやうに感じた。
 長期抗戰の非常時局にこんな作品集を纏めることなどは思ひもよらなかつたが、それにつけても思ひ出されるのは野田君の不慮の死である。
 私に作品集を出さないかと云って野田君と大木君とが來てくれて、はじめてお目にかつてから、一ヶ月とも経たないうちに、君は勇敢にも生を断って二十八歲の若さを一期として人生にさようならを告げたのである。
 君との交遊は甚だ日淺く、共に語ったといふ時間も勘いが、濁生にさようならを告げるほどの悩みを懐き乍ら、そん深雰圍氣は少しも見せず悠容迫らず死の前日まで私と語り合ったことを思へば、一層感新らたなるものがある。
 端なくもこの後記を綴っておる今日はお盆の十四日だ。私は新らしい線香を君が霊に捧げ番かに瞑福を祈り乍ら稿をつゞけるのも何かの縁であらう。
 私はこゝ暫く多忙液爲に筆をとれなかつたが、そんなことではいけないと、序文まで書いてくれた、いつも溫き鞭韃を與へてくれ、常によき理解者である尾崎榊山兩先輩にこで厚く感謝の意を表したい。
 なほ宇野浩二先生には、常に鞭韃の言葉を頂いた。今度も早速序文を頂き私は先生の知遇に會って感激の言葉を知らない。
 それから私が作品を書きはじめた頃から、何くれと面倒を見て貰った久保田万太郎先生並に井伏鱒二氏、崎山正毅氏の兩氏にこゝで厚くお禮を申し上げたい。
 もう一人私の作品集を見て一番喜んでくれるであらう人に今はハワイへ行っている中島直人君がある。今日、君が東京に居ればいち早く飛んできて喜びを分ってくれるに違ひない。いつも私が作品を書く時は君の忠言切なるものがあった。
 最後に故人の遺志を継いで、版元になって而も装幀までして下すった野田君のお父さんに厚く感謝の意を表したい。
 ともあれ、これをきっかけに今後は多忙にかこつけず不斷の努力を續けて行かうと思ふ。
(「後記」より)

 

目次

序文 宇野浩二
序文 尾崎士郞
序文 榊山潤

  • 雲間
  • 奇術師
  • 熒惑
  • おろかなる契
  • 女客人
  • 鴆酒
  • 夜風
  • 花束
  • 空の戀愛圖
  • 浮沈圖
  • 滿潮
  • 惡い仲間

後記


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