2018年10月、思潮社から刊行された桑田窓(1970~)の第2詩集。著者は長崎市生まれ、刊行時の住所は佐賀市。
あたらしくオープンしたビルや塗り立ての大通りには「きれいな見た目の若者以外お断り」と、大きな横断幕が掲げられている。
そのアーチをくぐり「お断り」と言われた私が、通りに足を踏み入れるには相当な勇気がいるが、とはいえ別に世の中ほかのどこだって、そう歓迎されるようなこともない。
などと、ぼそぼそ呟きながら、昔からあるいつもの喫茶店の窓から、賑わう新しい大通りを眺めている。
二〇一六年に、拙詩集『五季』を地元新聞社から出版した。
私がお世話になっている周りの方に向けてお礼の意味を込めて、また、詩に馴染みのない方に対して少しでも詩集というものを手に取ってもらえたらと意識してつくったものであった。
その前詩集の収録数を99作と中途半端な数にしたのは、次の一歩はこれか先に残しておきたいと思ったからだった。
詩集が出来上がった頃も、それまでと同様に地元新聞社に投稿をしていた。自分なりに大切にしているのは、詩作を「続ける」ことで、私にとってその実現とは「投稿」しかなかった。
そんなとき、日本詩人クラブの方から、詩には全国的な会があると教えていただいた。県内にはクラブの会員はおらず、入会担当の方が面識のない私に、出版元の新聞社を通じて連絡をくれたのだ。
元来、人見知りで引っ込み思案だが、詩を創作されている方々と広く交流できる場は新鮮だった。何の取り柄もない私でも「詩」は自分が持っている以上の行動力や心の支えをくれる存在なのだとあらためて思う。それからというもの、誰からも誘われていないのに、他の全国的な会や同人詩誌に、積極的・自発的に飛び込んでいった。「つて」も何もなくても、皆さんは温かく迎えてくださった。
そして、いろんな会で出会えた方々の御活動を知るにつれ、それまではずっとあとのことだろうと考えていた次の詩集を、なるべく早く出したいと思うようになった。「1か月で30数作品の詩作をすること」を目標に立てた。
前詩集で、これから先に残しておくと漠然と思い浮かべていた「次の一歩」を踏み出す「そのとき」は、訪れるものでも探すものでもなく、自分の心でしか分からないことなのだと思う。詩作を続けたこの二年間、仕事から帰って作品の推敲をするひとときが、毎日待ち遠しかった。素直に、詩を書くことが楽しかった。
さて、私は昔からあるいつもの喫茶店で会計を済ませ、これまで近づくことを避けていた「新しい大通り」の前にいる。知っている人の声も、まだ聞いたことのない声も聞こえてくる。
見上げれば、私が勝手に掲げていた横断幕はどこにもない。
遮るもののない大空が、ずっと遠くまで広がっているだけだ。
(「あとがき」より)
目次
- スタートラインへ
- メランコリック
- 十七秒前
- メトロポリス
- 或る招待状
- 並木道のプレリュード
- 張りぼてのポストリュード
- またね
- 薔薇色の教室
- 古都
- 落下する微惑星のパレード
- ローマ
- 夜風
- 月の雫は譜面の道を
- 砂の海 水の島
- 深海の旗手
- 若き日のうさぎは悩む夜もすがらページをめくった次の詩まで
- あこがれ
- 卒業式
- 滅んだほうがましな世界
- よもぎ色した港町
- 現に軌道は傾いていないし過去に傾斜した形跡も見つけられない
- 二〇一八年八月のエチュード
- ソリチュード 3
- トワイライト
- 消えたオリオン
- 遺跡の郷
- 朔と闇夜のコントラスト
- エスカレータ
- 静けさ 風の音
- 精霊流し
- 成人未満の自問自答
- 飛び出せ 青春
- 五季
- いつか
あとがき