1971年7月、思潮社から刊行された相生葉留実の第1詩集。装幀は鈴木悦子。
ときに、人が詩人としてあらわれるためには、ある種の二重性を帯びざるをえないのではないかと思うことがある。世俗にいわゆる「律儀者の子沢山」というふうな、努力家と多作家、風貌と作風とがすんなり調和してしまう経過のなかでは、詩人はなかなかに登場しないものである。
相生葉留実は、京都のある小さな印刷屋の、事務員やガリ切りやタイピストとして多忙な勤め人であった。私が会ったのは、同じ印刷業としてではなく、彼女が、たまたま京都に創設された労働学校の詩の教室に顔をだしたからである。小柄で、卵型の顔で、印象はつるっと清潔で、ひかえめな女性であった。数作目で彼女が「川で酔う」という作品を書いたのをみて、私は本当にぎくっとしてしまった。ロルカを読んだようなあと味が瞬間あって、こんなに解放された性感覚がこの少女っぽい女性のどこにあるのだろうと思った。それがじりじりと「なわとび」の胎内願望の方にむか動きは、私には、相生葉留実の内側の、表面からはうかがいえない奇妙にくねっていくいきもののように思えてならなかった。いつあってみても、そのいきものは、皮膜下のどこかで焦らされかくされていて、なま身の彼女は何となく子供っぽいのであった。実は私は、その齟齬感の拡大をおおいに楽しんでいたようである。
相生葉留実の風貌と作品とのあいだにある種の融通があらわれだしたのは、Ⅱの作品群におけるいわば、愕然としたような、作品構成の明らかな意識化がうかがえる頃からである。建築物と設計者との分離融合における一種の融通であり、これは、はじめの自然、はじめの神、はじめの天稟からみはなされかかっていることを物語っている。おそらく、何篇かの作品を書けば私たちは身ぐるみ剥がされるのだ。そして徒手空拳言葉とのたたかいをはじめなければならない。風貌云々でたわむれるはじめの幸福な時期などあっという間のことなのかもしれない。
(「肖像 大野新」より)
私はまだ生れていないのではないか。作品の上で。樹木、小鳥、花、魚窓等々から、はっきりと離れていくとき、はじめて生れ出るのかもしれない。私は今、創造主の胎内のなかで、むやみに暴れているだけなのだ。ことばの洪水に押し流されながら。胎内から這い出ることができる日、私の中の洪水も引いていくだろう日を、待ちつづけよう。白紙を前に、何かを蓄えながら。
大野新氏の跋文および出版をすすめてくださった富岡多恵子氏、田中和美氏に感謝します。
ここに集めたものは、一九六六年七月から一九七〇年八月のあいだに書いたものです。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 川で酔う
- ひなたぼっこ
- 散歩
- 弟の背中
- なわとび
- 鉄棒と少女
- 母のからだ
- 娼婦の街
- 海の中の鳥居
- 夕やけの空
- 川の流れ
- 山のモノローグ
- 接吻
- 受胎
- 少年
- 晴天
- ぶらんこ
- 演奏会の指揮者
- 停電のあと
- 閃光帯
Ⅱ
- 海へ行ってきた人
- 水星へのハネムーン
- 水の街
- 生きるために
- 引越し先はつまらない
- どこへ行ってきたのですか
- 日程
肖像 大野 新
あとがき