1994年7月、思潮社から刊行された中本道代の第4詩集。絵は中西夏之。装幀は直野宜子。付録栞は吉田文憲「正午、正午の消滅」。
現象は、目に見えないもの、知覚することのできない大きなものの出現に過ぎない。私たち自身が現象であるのだから、私たちにわからないのは当然かもしれない。
秘されたものは秘されたままに顕れ出ていて、私たちはいつもそのただ中にいる。
たとえば、夢に現れてくる知らない場所、私たちはいつそこに行ったのだろう。
目を閉じると現れてくる様々な知らない人の顔、私はいつ彼らに会ったのだろう。
そんなことを考える時、私たちは限りなく形を持たないものになっていくような気がする。一回限りの形態と、捉えることのできない不定形なものと、私たちはごく当然のこととしてその両方を生きているけれど、その在り様そのものが、何かの端、境界領域なのかもしれない。
境界とは、言葉が通用しなくなる場所だ。そんな言葉が無効の場所ではじめて、詩の言葉はたち現れてくるような気がする。
それは、言葉が避けがたく持っている詐術の力を使わないため、私たち自身を少しでも錯誤から解放するためなのだと思う。
(「後記」より)
目次
- SummerSong
- 波動論
- 革のノート
- 日本列島・1989
- 現象Ⅰ
- Ⅱ
- Ⅲ
- 山姥の娘の歌
- 夏
- elegy
- 1月16日 午前
- 都の外で
- 滝のある山
- 鏡
- 異国物語
- 通信
- 世界
- Doyouhear......
- 花
- vernalequinox
- 変装
- 夜の口
- 街道
- 妹考
- 生命幻想
- 母の部屋
後記
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