1967年10月、角川書店から刊行された岡野弘彦の歌集。第11回現代歌人協会賞受賞作品。
昭和二十八年の四月末のことであった。折口先生につれられて、伊馬春部さん、池田弥三郎さん、戸板康二さんといっしょに、川奈ホテルに泊まった。
夕食を終わってのち、部屋の椅子に腰をおろして、暮れる前のひと時 を、冴えざえとした緑にかがやくゴルフ場の芝生を見おろしていた。芝生 の涯には、淡く夕焼けた海の上の空がつづいていた。
突然、胸の底からつきあげるように、なまなましい感情が湧きたってきた。八年前に経てきた、戦いの日の記憶である。それも、薄暗い竹藪の中 に身をひそめて敗戦の詔勅を聴いてのち、数日の間に経験した、あの目まぐるしい、圧縮せられた日々の記憶である。
言葉がおのずからに連なり、手がみずから動くようにして、手帳に書きとめたのが「若き中隊長」一連の歌であった。
川奈ホテルの、満ち足りてしずかな夕べのひと時に、どうしてあんななまぐさい記憶が心にふきあがってきたのか、そして、歌を作ることきわめて不器用な私に、どうしてあれほどなめらかに歌の詠めるひと時が訪れたのか、よくわからない。
ただ、それからしばらくの間、心の中に低迷する何ものかがふっ切れたようにして、戦いの歌がまとまって出てきたことは事実である。
その年の七月、八月、折口先生と二人きりで箱根の山荘に籠って、衰えてゆく先生の体を看とっていた時も、私はまだその興奮の心を保ちつづけていた。
古くからの教え子の鈴木金太郎氏と、亡き養子の春洋さんの手によって建てられたこの山荘で息絶えるのなら、それが一番よいのだ、といって東京に帰ろうとせられない先生の、日ごとに著しくなってゆく衰えをまのあたりに見ながら、私もじっと心をこらえて看とりをつづけていた。
自分の心を保つためにも、暇があると手帳に歌を書きつけている私にむかって、先生は、「君は 鬼みたいな人だよ。あれほど歌が好きで、一生歌を作りつづけてきたぼくが、もうその元気すらなくなっている枕もとで、 手帳に歌を書きつけているんだから。」と言われた。
私ははっとして、自分の無神経さを悔やしく思ったけれど、その時の先生の顔は、意外になごんでやさしかった。
叱られているのではなかったのだ。のんき者で、物事に執着する心の淡い私が、先生についてから七年経て、ようやく示しはじめた歌に対する熱意を、そういう言葉で認めてくださったのであったらしい。決して教え子の歌をほめたりしない先生だった。それにしても、あの気性の激しい先生の口から出たにしては、何という心弱い言葉であったことか。
東京に帰ろうとせられない先生の、日ごとに著しくなってゆく衰えをまのあたりに見ながら、私もじっと心をこらえて看とりをつづけていた。
先生が亡くなられてのち、一年ほどは「鳥船社」の作歌活動も、とにかく続いていた。しかしそれも中心になる人がなくて、やがて年に一度の忌日に集まるだけの会になってしまうと、一番末輩の弟子である私などは、 歌を作る心の張りをいったい、どこに求めればいいのか、と迷ってしまうのであった。二・三年の間、歌を作ることなどほとんど忘れてしまったような日がつづいた。
そういう私に、再び歌を作る心を奮いたたせてくれたのは、香川進氏だった。そして、なまけ者の私も、「地中海」ののびやかな集まりの中で、 新しい情熱を見いだせるようになっていった。
しかし、こうして一冊の集にまとめてみると、十年余りの間に詠んだ歌が、たったこれだけなのかと驚かされる。削ったものも多いけれど、それは無きに等しい。やはり、執意の淡さは覆うべくもないという気がする。
今更、何も解説などつける必要はない。ただ、歌の句読点についてだけは、少し記しておきたい。
昭和二十年の秋、「鳥船社」に入って歌の手ほどきを受けた時から、歌を表記する場合には必ず、。をつけるものと教えられた。以来、久しい間、それを当然のことと思い、みずから余り苦しむこともなく、、。を打ってきた。先生が亡くなられてのち、ひとりになってみると、今までこだわりもなくなめらかに打ってきた句読点が、とても、無反省には打てなくなってきた。全集を編纂する必要から、先生の若いころの歌稿を見てゆ くと、先生が一首の中の句切れを表記するために、どれほどさまざまな方法を試みて苦しんだかが、身に沁みてわかった。そういう生みの苦しみを経て得たものが、一首一首に、ぴたりとゆらぎない句読点を打ち据える自信になっているのである。その苦しみを経ないで、手ほどきの時から与えられた形だからといって、形式的に打つ句読点が、動きのない力を持つわけがない。
せめてその点で、先生の生みの苦しみを自分の身で体験してみたいと、 私は思っている。この集の歌には句読点をつけなかった。私のひ弱な表現力では、まだ、すべての歌にゆらぎない句読点を打って、しかも一首のリ ズムを保ち得る自信がない。
ただ、最後の「青き煙」「日の入る山」だけは、先生の手によって、添削を経たものである。これだけは、そのまま出させていただいた。
(「あとがき」より)
目次
・悲しき父
- 悲しき父
- 白き耳
- 冬至前後
- 歳かはる夜
- 冬の家族
- 湖岸
- あぢさゐのあを
- プールサイド
- かかる日々
- 春浅きころ
- 花
- 病める金魚
- 少年を送る
- しひたぐるまじ
・大和いづかた
- 大和いづかた
- 妣の島
- 枯山
- よしの・あすか
- 天若彦
- さざ浪の国
- 四国辺土
・師の亡きのち
- 病ひ篤し
- 叢をくだる
- 師の亡き家
- 葬りののち
- 叢隠居
- しづかなる窓
- 大井出石
- 家を出づ
- 村びと
- 若き日の母
- 兄弟
- 花あしび
- 峡ふかき家
- 憎む
- 若葉の霊
- クリスマス・イヴ
- 黄塵の季節
- あかるき海
- 鵜のゐる巌
- 夏の旅
- 沙丘の墓
・たたかひを憶ふ
- 夜の記憶
- 戰時羈旅
- たたかひを憶ふ
- 母のまぼろし
- 流るる星
- 若き中隊長
- 戎衣をぬぐ
- 神を求む
- 青き煙
- 日の入る山
あとがき