海のトンネル 市原千佳子詩集

f:id:bookface:20210214102200j:plain

 1985年3月、修美社から刊行された市原千佳子(1951~)の第2詩集。写真は伊良波盛男。題字は金子兜太。付録栞は飯島耕一「ふるさととエロスの海」。あしみねえいいち「『海のトンネル』によせて」第8回山之口貘賞受賞作品。著者は沖縄県池間島生まれ。刊行時の住所は江戸川区西一之江。

 

 二十代の終わりに出したかったが、三年も遅れ、厄明け詩集となった。しかし、今は遅れてむしろよかったと思っている。十年一昔というが、はじめて詩集を出してから十年になるし、またその十年は結婚してからの年数とぴったり重なる。一くぎりするにはちょうど具合のいい数字になった
 十年間のうち、はじめの三、四年はほとんど詩を書いていない。結婚によるポイント故障にみまわれたからだ。新しい生活の多忙と充足とでさほど書く必要がなかったし、常に他者のいる空間しかなかったので、読み書きはできなかった。
 今も住宅事情は、物を書く習慣をもつ者にとっては最悪の状態だが、家は家族共同の場であるし、女(妻・母・嫁)業を選んで結婚したのは自分なので、家の中での読み書きはあっさりあきらめることに決めた。そうと決まったら、家の中で読み書きできないことへのイライラが消え、心が楽になった。
 この十年間、教職と家庭と文字にと無い三股をかけ無い才能を分散したけれど、どうにかどれも破綻させないでやってこれたのは、どちらの世界にもじょうずにシャッターを降ろせたからであろう。家庭にいる時は家庭のことのみを考えた。職場にいる時は職業に専念した。どちらにもいない時に私という個人に戻った。文学に戻った。このもどる際のデジタルでシビアな切り口には、私の生身の鮮血がきっと痛苦でかがやいていたと思う。だって個人にもどる作業は、教師業や結婚業の省略にちがいないから。自分で切った切り口から滴たるものを自分で浴び、自分のにおいに染まり、省略への罪意識を少しずつ捨てながら、我執の鬼に意図的にならなければ、詩は書いては来られなかった。
 時々私は考える。何故私はそんなにまで自分に執着するのだろうかと。こんな問いに答えなど出せるはずはなく、もてあます。好きな男と一緒にくらして十年経つのに、息子も二人できたのに、私は独身者のように、自分がいかに生きるかに最も関心をよせ、その孤独の世界での純粋培養に日々余念がない。ごめんなさい。みんな。これからもごめんなさい。
 私の右手のてのひらには、親元を遠く離れて住む親不幸の線が如実に出ている。自分への執着は、思えば故里の海を捨てて、見知らぬ山野の山彦と結婚したときから始まったといえる。結婚による戸籍の移動により、見も知らない地が私の本籍地になった事実は衝激だった。その当然な処置が、私には理不尽かつ不当に思われてしかたなかった。地上ぎりぎりに地下茎をバッサリ断たれた樹木のおもいであった。
 十九歳で上京して以来うしろなど振り向いたことのない全く都会的にさばけた合理的な娘だったのに、戸籍移動は私に潜在していた主体をまるごと刺激し、私は全的に私の地下茎への潜行にあえぎはじめた。ことばは完全にホームシック症候を呈していった。母性や島や海や海のむこうのニライ・カナイへの回帰願望は、ひとの魂の深いホームシック症候にほかならないのではないかと思う。
 ひとは何処から何のために来て、何に固執し何を悟り、何処に至ろうとするものであるか。月々の経血は、からだの殺しの構造の健在を意味する。それを私はいのちにどう詫びていくか。
(「あとがき」より)

 
目次

  • 燈台は大蛇
  • みの虫が夢みたものは
  • 磁界図
  • 水平線抄
  • 島影――宮古島の<砂山>へ
  • U島連禱
  • U島断章
  • 東京へ
  • こぶしのなかの海
  • 四月 さくらうろこの頃
  • 口愛(くちあい)(オーラリティ)
  • 永遠(とお)い海
  • 散華
  • 八月の流星」
  • チューリップ。
  • 仏桑華
  • あの日お祝いだといわれて
  • 螺旋
  • なわとび
  • あさのしろいは
  • スコール
  • ゆうやけ
  • 川についてのメモワール
  • 一月の祈り

  • 祖母のズロース
  • 海にはトンネルがある
  • 海の壁

あとがき


NDLで検索
Amazonで検索
日本の古本屋で検索
ヤフオクで検索