1998年8月、水声社から刊行された飯田茂実(1967~)の創作集。装幀、装画は軽部武宏。著者は諏訪市生まれ。大野一雄に師事、刊行時はパフォーマンス・音楽活動中。
唐突に思われるかもしれませんがアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは真夜中から朝まですごい雷鳴で眠れませんでした。南極海に注いでいる氷河の端末は物凄い轟音と共、自らを弔うように日ごとに河蝕を繰り返しておりました。
アルゼンチンは第二次大戦の時に広大な土地を利用して食料増産に努め大変なお金持になりました。
異言が語られた時聖者が甦った。二千年前から引き続いて言は現実と重なって、いや、天地創造の初めから今に到るまで言は生きている。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに於いての最初の舞台公演の時でした。気のついた時生者と死者がびっしりと客席を埋めていた。この様な状況の中で私はどの様にして踊ったらよいのだろうか。私もまた生者と死者に対する様に生と死の重なりの中で力を尽くして踊らねばならない事はわかっているのに。私の霊が戸惑い続けるばかりでした。
アルゼンチンのサンマルチン劇場での出来事でした。生と死の重なりの中、天道地道宇宙の森(宇宙のエネルギー)の中、フォークランド諸島での出来事のため多くの若者が混乱にまきこまれ死者が多数出来、街には行方不明者の写真が展示されておりました。
説明することが出来ません。しかし私の稽古場で長い時間の間ドイツのドレスデンで体験した死者と共なる歩み。教会の中から始まって日本の横浜での私の稽古場にまでつながった死者と共なる生者の歩み。
互いに助け合っての時間を想い出した時、床下に埋まっていた死者が立ち上がり生者と共によろこび合い助け合って生と死の共なる時の感動を想い起こした時、私は死の時から生と死の重なりの時を想い起こし感動の時を与えられたのでした。死の時が生者の時に転換したそのよろこびを体験したのでした。体験を越えた感動でした。死のはじまりは生のはじまりに続くことを体験したのでした。舞踏の時は宇宙から分かち与えられた命、宇宙から分かち与えられた森。
――命の在り方について力を与えられた想い。宇宙から分かち与えられた命のその根底は愛だと訓えられております。死者もよみがえる愛だと訓えられておりました。
一九九八年四月十六日
(「序/大野一雄」より)
本書の題名は、増田尚代さんの絵画作品『世界は蜜で満たされる』(一九九一年)にもとづいて います。この絵は、淡い黄金色に輝く画面いっぱいに、<墓>という微細な文字が無数に整然と 描き込まれている大作です。
今回の出版にあたって、大野一雄先生並びに大野家の皆さん、松井純さん、軽部武宏さん、上 谷奈津子さんに、様々なお力添えをいただきました。本当にありがとうございました。
(「後記/飯田茂美」より)
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