1979年2月、版木舎から刊行された上手宰(1948~)の第2詩集。装幀は百瀬邦孝。著者は神楽坂生まれ、刊行時の住所は千葉市花見川。
字が書けるだけで尊敬される時代があった。そんな時代に生まれていたら、私は字を書くことも読むこともできない人間のひとりだっただろう。もっと正確に言えば、そうした人々の群れに、いやおうなく属していたに違いない。少年時代から持ち続けてきた、この脅迫観念を私は未だに捨て去ることができない。私だけではなく、私の愛する者たちはみな字を読めなかっただろう。父母も妻も娘も。つまらない想像だと一笑に付されてしまえばそれまでのことだが、私はその想像になぜか心ひかれる。そしてもしも、そんな時代を生きていくことにでもなったら、意地でも字の読めない人間の側にまぎれていたいと思う。現実には私は字を書いている。しかし読み書きができないこと、それが私の思想なのだ。
親父が二か月前に突然逝ってしまった。忙しい日々が過ぎ去ったあと、残された母が目に涙をためながら親父の書いていた「短歌」を見せてくれた。要らなくなった伝票の裏に雑然と書かれたそれらの文字を読みながら、親父が生涯にただの一度も原稿用紙になど向かったことのない人だったことを今さらのように私は思い返していた。その親父が、まだちいさかった兄弟たちの中で一番最初に私に万年筆を買ってきてくれたのはなぜだったのだろう。成績も一番わるかった(常にクラスでビリ近くだった)し、毎日のように喧嘩ばかりしていた私に。鉄ペンの安物だったので書くとすぐ紙にひっかかったものだが、その感触の意味を今頃になってやっと考え始めている。
この詩集は一九七四年の暮から現在までに「詩人会議」のほか「層」「グッドバイ」「冊」「詩とにんげんの村」等に発表した四三篇の中から一五篇をまとめたものである。あれこれ考えながらまとめている間にわかったことだが、自分の詩をみつめていくうえで最も大切なものを教えてくれたのは詩サークル「詩とにんげんの村」だったように思う。特に感謝したい気持でいっぱいである。
(「あとがき」より)
目次
- 放火魔の実践論
- 安物の磁石
- マッチ売りの少女
- 暗い目をして
- いい考え
- オニと人間
- 十字路
- ある日の新聞
- 五月の小さなかけら
- 鏡
- 手紙を捨てる
- 地下鉄
- 酔って眠る
- 銃の眠り
- 祈りが裁かれる
あとがき