1987年5月、雁書館から刊行された草市潤(1918~2019)の歌集。装幀は小紋潤。著者は佐賀県生まれ、中島哀浪(1883~1966)の次男。
私が生まれる以前から、家の中には短歌的思念が処せましと張りついていた。長ずるにしたがい、短歌とはそうしたものとのおもわくが不知不知のうちに身に染みるものか、この詩型との馴れ過ぎもゆうに五十年を数える迄になっていた。
私の身辺には、詩や小説を書く連中ばかりで、彼等が私を一人前にあつかって呉れるのは、私の歌人でない部分に限られている。この三、四十年というものは、これらの仲間たちからは、私をして短歌から手を切らすべく、半ば強要なかば侮蔑といった信号が、しつこく送りつづけられた。
かれこれひと昔前になろうか、直木賞候補作家で佐賀新聞論説委員長の河村健太郎さんが、さりげなくかつ重々しく言ってくれた言葉がある。「全作品集を出すべきです」。このひとことが意識の底によどんでいて、このたびようやく過去をあさってみる気になった。その結果、私の中では戦中戦後はおろか、戦争そのものもまだ終っていないことに気がつかざるを得なかった。
気配を広辞苑にきくと、何となく感じられる様子、とかえってきた。おおかたの場合気配は待つものとしてあったが、私にとって気配とは正しく怯えそのものであった。仲間たちが、私と短歌との離反をしつこく図ってくれたことと、このこととは文学空間の中では満更無関係ではなさそうな、そんな気配が今私をじっとりと包んでいる。
(「あとがき」より)
目次
- 無花果村
- 貧困の仲間
- 父よ
- 無言歌
- 見えぬ町
- 鉤のとりこ
- 小半日
- 母の足どり
- 枯野抄
- 壜のせんぬき
- 裏山
- 春日昨今
- 冬のじねん
あとがき