小さい灯 齋田昭吉詩集

 1973年5月、私家版(草土社)として刊行された齋田昭吉の詩集。

 

 斎田君は今度急に東京に行って、住まつてみることにしたさうだ。君とはその十四歳から今の二十歳までのつき合いだ。といふより、近年はむしろ小生にとつては小パトロンで、君から談話の間にとりあげた煙草の数は何千本になるだらう。それだからお世辞をいふわけでは決してないが、この一年間に書いたこれらの詩は大へん見どころがある。小さい灯をしづかに大切に守って、可憐で、精緻で、しかも何だか一貫した方法みたいなものも感ぜられる小世界を示してある。その場あたりのものではないことがわかる。戦争がひどくなる頃から今日まで、友人の少ない小生にとつては、特に親しい人であつたので、その「小さい女」のことは私にもしみじみわかる。勤労動員にいつた工場の隅つこや、学校の教員室や、街のコーヒー店で、それとなく話し合つたことは、皆その事ばかりであつたやうに思ふ。そしていろんなことがあつたね。粗つぽい東京の、紛然たる文学青年の仲間に交はることは、私はあまり賛成ぢやないけれど、小生流の考へ方ばかりを君に強ひるわけにはいかない。まあ行っておいでなさい。いやになったら又すぐ帰って来給い。
昭和廿一年十一月
住吉中学校の教員室で
(「『小さい灯』のはじめに/伊東静雄」より)

 

 集められた詩を繰つていて、斎田昭吉の詩には夜の詩と手・掌・指との詩が大へん多いことに気がついた。しかもそれらは静止しているのでなくよく動く。寂しい世界の中で動き、小さな希望の火がそこに点つているような感じもある。と同時に、戦後すぐの大阪の巷で、伊東静雄の側にいた少年であつたということをしみじみ回顧さされた。敗戦前の文語詩時代と打つてかわつたように、敗戦後の口語詩時代の伊東静雄には、何か内らからほぐれて伸びをしているようなものがあつた。その側で同じように内らからほぐれて行つているようなものを斎田昭吉の詩にも感じる。ほぐれて行つているのだが、その視線は伊東のほぐれるさまを凝視しつづけているようでもある。幼い手習いというものも感じさせるが、少年は少年なりに一つの人格であるということも感じさせる。斎田は伊東を手習いしたが、伊東も又、この年少の少年の生活の中から少くとも二つや三つ自分のものにしたとも思われる。その照応が今となつて、ゆつくり判り得た。
 その時代の斎田少年や、伊東静雄や、大山定一の出て来る小説をわたしは「小ヴィヨン」という題で書いた。それは冬樹社から「贋・久坂葉子伝」と合せて一冊にして出したが、斎田少年と久坂少女が少年少女らしいディトを神戸で時々していたということを、この本が出て後、斎田にきいて唖然とした。却つてそのことが面白いことに思える。
 これまで何回か出すといいつつ、中止になつていた斎田昭吉の詩集がようやく出る。何か心が敗戦直後へかえつて行くような気がする。強盗が居り、乞食が居り、闇ばつかりで、暗い夜が多かつたが、あんな空気の澄んでいた時はなかつた。荒廃しているようで、妙に人がやさしかつた。
(「序/富士正晴」より)

 

 いまから数えて廿六年前、ガリ版刷りの「小さい灯」という文字通り小さな、うすっぺらな詩集を自分ひとりで編んだ。
 伊東先生から、序文(この詩集にも再録)を頂いて、それが私の一生のなによりも嬉しい思い出として残った。今日ここに改めて一冊の本として、上梓しようと思い立った動機とは、いったい何なのだろうか、説明すれば、その理由はいくつもあるような気もする。林富士馬氏の有難い跋文に「それは回顧の甘美などというものばかりではあるまい。寧ろ私には悔ばかりのような気がしている……」とあるが、私なりにきわめて簡潔にいわせてもらえば、身辺整理をすることによって、改めて茫洋とした果てしない世界へふみだすための、ささやかな決意とでもいおうか。いわば、今日までの墓碑銘のようなつもりで、思い立ったということになるだろう。
 これらの作品は大別すると、昭和廿年より廿一年迄の「小さい女」と、それ以後のふたつに分けられる。そうしてそれらは、私の十八歳から廿三歳迄に作った詩が殆どである。卅歳をこえて、詩作は全くといってよい位できず、その代りに、大へん不遜な言い方で、敢えていうならば、詩の楽しさ、すばらしさが私流に何となくわかってきたといえる状態にかわってきたように思う。
 富士正晴氏の序文には、伊東先生のある時期の作品との照応を指摘されているが、私にはむしろ、伊東先生からすくめられた、中野重治氏の初期の詩、林富士馬氏の「誕生日」「受胎告示」のなかの詩、ヨアヒム・リンゲルナッツの詩等が、いまでも鮮烈な印象と影響の、生々しい記憶として、深い感銘をうけたことを覚えている。
 ともあれ、私の宿題から、やっと一問だけは済ませたような気がする。勿論、大きい宿題は、まだまだいくつも残っているのだろう。伊東先生は四十七歳でこの世を去られ、三島由紀夫氏も又、四十五歳で自らこの世に訣別を告げられた。私の年齢もまもなく四十五歳を迎えるだろう。ここまで書いてきて、私は伊東静雄全集のなかの、ある短い文章にふっと心を惹かれ、これを結びの言葉として引用させて頂こうと思う。それは私の畏友吉村弘君の為に、かって、伊東先生が色紙に認めて贈られたものであるが、私はその一文を私自身への言葉としてうけとめておきたいのだ。

 "君はよく力めた そして その仕合せな報いを味った
 しかし いつもかういくだらうか
 それは誰にもわかりはしない
 ただ われらが生涯は
 力め力めるより他に仕方はないのだ
 よし縦令うまくいかうと いくまいと"

(「あとがき」より)

 

 

目次

「小さい灯」のはじめに 伊東静雄 
序 富士正晴

Ⅰ「小さい灯」から

  • 早春
  • 夜汽車のなかから
  • 汽車の窓に凭れて
  • 夜の海
  • 海とひとと
  • 夜の河原で
  • 日曜日の朝
  • ともしびのある思い出
  • 洋燈と話をする
  • お祈り
  • さよなら 言いましょう

Ⅱ 「小さい灯」以後 

  • 眼を閉じたまま
  • 手の掌のなかの天使
  • 風景Ⅰ
  • 風景Ⅱ
  • 銀紙について
  • 孔雀
  • 写真機
  • 羞恥について
  • びっこの天使
  • 心象風景
  • なんとなく もうここいらで

「小さい灯」のかたすみに 林富士馬
あとがき


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