アメリカ・その他の旅 諏訪優詩集

 1973年7月、NOVAKAST PRESSから刊行された諏訪優(1929~1992)の詩集。

 

 一九六七年に詩集『精霊の森』(思潮社)を出して以後、詩集を一冊もまとめることなくすぎてしまった。
 詩集を出すことばかではないが、いささか怠慢であったことへの自省もなくはない。周囲の友人たちに尻をたたかれて、思い切って旅の詩を中心にこの詩集を編むことになった。
 長篇詩「アメリカ」を中心に第一部とし、かって流産におわった小詩集『冬の旅・その他の旅』をそっくりそのまま第二部とし、近作いくつかを加えて三部から成る詩集としてみた。
 『冬の旅・その他の旅』には多少説明を加えておく必要があって、これは一九六四年に、当時書いていた散文体の旅の詩を集め、吉増剛造氏の解説的な手紙までもらって出版される直前にあったものだが、版元の新芸術社が倒れたため、見本三冊をこの世に残して流産してしまったものである。
 ふりかえると、文京区東片町と本郷東大前を中心に、駒込からお茶の水へかけて、四つの点を結ぶように一本の熱気ある線が引かれていたなつかしくも奇妙な時代であった。
 新芸術社からは、天沢退二郎氏の『夜中から朝まで』、岡田隆彦氏の『史乃命』、佐藤文夫氏の『ブルースがマーチになる時』、鈴木志郎康氏の『新生都市』、菅谷規矩雄氏の『六月のオブセッション渡辺武信氏の『熱い眠り』、吉増剛造氏の『出発』、そしてわたしの『アレン・ギンズバーグ』などが、文字通り奔流のようないきおいで、しかも手造りの感じでつぎつぎと出されたのであったが、社の倒産と社主の度しがたい性格や雲がくれなどがからんで、すっきりしないかたちのまま、つづいていたらかなり面白かったであろう小詩集の出版や雑誌「エスプリ」の発行もおわってしまったわけであった。
 折って製本するばかりになっていた詩集『冬の旅・その他の旅』の印刷ずみの紙の山が、ある日、社主や印刷機もろとも忽然と消えてしまっていたのにはおどろいた。「わたしの詩集同様に、不発におわった詩集がほかにも何点かあったはずである。
 ところで、亡霊のような詩集を引っぱり出してきて、その亡霊のために書いてくれた文章をもここに加えたことを吉増氏にわびると同時に、あらためて感謝するものである。吉増氏がふれているように、当時すでに亡霊としての運命を孕んでいたわたしの詩はとにかくとして、吉増氏の文章はいいものであり、わたしにとっては後輩からもらった記念すべきありがたい文章なのである。
 一九七〇年にアメリカ各地を旅したわたしは、ここ十数年来、もはや切っても切れない関係になってしまったアメリカという国と人びとをふりかえり、そこに愛と憎しみの混り合った感情を抱きなら、なかば記録ふうな側面を持たせつつ長篇詩「アメリカ」を書いた。
 その周辺から「ミズリーの朝」ほか数篇のリリックもうまれたわけである。英訳を寄せてくれた沢井淳弘氏ありがとう。
 詩人は旅人であり、現代にあっても、できれば放浪者でありたいというのがわたしの理想であるが、その自在なこころと、現実にあっての放浪の姿勢はなかなかに保ちがたい。つとめて風のような旅に出ているのはもちろんだが、一方、内部への旅も不可欠であろうと思う。
 いずれにしても、人間の一生などというものは、またたく間の旅にほかならないと、このところしきりに思っている。
(「あとがき」より)

 

目次

・「アメリカ」1970-72

・散文小詩集「冬の旅・その他の旅」 1961-63

  • 冬の旅
  • 浅間の奥で
  • 千葉にて
  • 京都・一月
  • はなしかける詩
  • 銚子にて
  • 村はずれ
  • 八月なかば
  • 秋の詩
  • おもしろうてやがてかなしき
  • 一年のおわりの詩
  • 諏訪優への手紙」吉増剛造

・「またその他の旅」1972-73

  • シスコ・神戸・風に吹かれて
  • 一九七二年・路上
  • 春の夜は月明りで
  • 雪しきりなり

あとがき

 

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