1998年11月、舷燈社から刊行された清水茂(1932~2020)の詩集。装画は武田史子。著者は東京生まれ、刊行時の職業は早稲田大学文学部教授、住所は埼玉県新座市。
『影の夢』(一九九三、書肆山田刊)以降の作品のなかから、ここに取り集めて一冊に整えてみた。
自分にも詩法のようなものがあるだろうか。一口に言って、どんな自覚的な方法もないような気がする。最後の一篇ができたあと、もう自分には一篇の詩も書けないだろうとしばしば思われるのは、おそらくそのためだ。自分の内側からどうしてそれは内側からなのか言葉がイマージュやリズムを伴って押し出されてくるのを、その都度、待っているようなものだ。
存在が詩的であるとは、絶えず宇宙、あるいは世界にむかって発している問いが何かに触れるときの在り様だ。自分と世界とのかかわりがほんの一瞬であれ、日常のものとは異なる在り方になり、世界を欲望の対象として断片化するのではなく、全的に受け取るときがある。そんな瞬間の反映、余韻とでも呼び得るものが言葉に宿るとき、それが私には詩なのかもしれない。だから、そこにはある種の確信は宿るにしても、自己肯定はあり得ないように思う。私が消えてなくなってしまうわけではないが、私自身は打ち砕かれて、自分の見ているものに、自分に見えている世界に遍在するそんな瞬間でもあるからだ。
(「あとがき」より)
目次
- 夜のあいだに雪が
- 春が
- 崩れかけた壁と
- それぞれにその人だけの
- ある芸術家
- 私の家
- 夏のイマージュ
- 晩秋
- なんと私たちの
- 私の知らない街で
- 黯ずんだ枝の
- ちいさな一羽の鳥
- 春の憂鬱
- アルプスの向う側
- あのときを選んで
- 白いナデシコの花
- 石榴、晩夏に
- 十月
- 暗い色
- 反映
- 三月の霧雨の日
- もしかすると……
- 私のすべてが……
- 嵐の予感
- 夕暮れの谿の風景
- 変容
- 世界の汀に
- 空が崩れて
- 雪原を影が
- 秋
- 一つの路地
- 顔
- 動いている大きな手
- 風景
- 女の顔が
- 一叢の葉のかがやき
- 冬の霧
あとがき