1970年12月、光風社から刊行された瀬戸応夫(1930~)の第1詩集。著者は和歌山県御坊市生まれ。カバー写真は中日新聞提供。
ここに集められた詩には、一貫して流れる訴えの思考がある。今の日本には、魚や貝や草木までいのちの危機にさらされている現実があり、愛する郷土が荒され、国土が破壊されても平気な企業の本性がみえかくれしている。それに対する不安や怒りを、この詩人は平明な告発のかたちで語っている。
いのちを大切にする詩人は、このような現実をその深部において把握する精神のもちぬしでなければならないと思う。この意味で瀬戸君は詩のほんものの鉱脈を掘りあてている。これらの詩に親しみと共感をおぼえるのは、この原点に立ってみないとわからない。
詩は語ってはいけないとわたしは思う。現実から目をそらせて観念に傾斜していったり、硬直した政治主義のなかにもちこんだりすることは、結果として非文学的におちいり、さらに非政治的に向うおそれがあり、詩とは正反対のものである。この意味では、これらの詩のなかにはまだ弱点をもつ不充分な作品も含んでいるようだ。
詩人はもともと現体制や既成社会のすべてに不安をもち、批判をくわえなければならない宿命をもっている。大切なことは、社会が悪いとか、腐敗しているとかのせいにしないで、自分の内側をみつめることである。みずから道をきり拓く方法のなかに詩も存在すると思う。嘆きにおわらず、あらゆる圧力に屈せず、瀬戸君みずからが掘りだした鉱石をみずから精錬し、磨き、ほんものの光を放つよう、わたしはねがってやまない。
(「序にかえて/河合俊郎」より)
目次
序詩
Ⅰ
- やぶからし
- 恐竜
- 家
- 馬
- 生業
- 港・その未来図
- 石河原
- サバ
Ⅱ
Ⅲ
- 埋立地
- 水門
- 老婆とあさり
- 伊勢詣で
- 網ひび棚
- 大津島にて
- 電気炉
- くず鉄
- 滑走路
- 干潟
- かに
- 飼われた海
- 御馬の秋
- 春の海
- 海ガラス
- 海水浴
- 魚のたわごと
序文 河合俊郎
あとがき