1996年3月、ながらみ書房から刊行された谷岡亜紀(1959~)による佐佐木幸綱論。著者は高知市生まれ。装幀は小紋潤。
本書は、私の所属する歌誌「心の花」に一九九一年一月から二年間にわたって連載した「佐佐木幸綱論」をベースにして、残り半分に書き下ろしその他を加えたものである。ただし「心の花」に掲載した部分にも、かなり手が加えられている。
まる五年を書き継いだ五〇〇枚という数字は、私にとっては容易ならざるものだった。この長距離走において、ふらふらになりながらもなんとか途中棄権をせず、ともかく今やっと「あとがき」を書くところまでたどり着いた。そう思うと、多少の感慨がある。むろん問題は中身なのだけれども。
佐佐木幸綱が名実ともに現代短歌の旗手の一人であることに異論はないだろうが、不思議な事に現在まで一冊の単行本としてまとまった佐佐木幸綱論はなかった。その意味で自分なりに多少の責任や使命を感じたりもしていた。しかし、良くも悪くも結局私は、私の現時点の力量に見合った佐佐木幸綱論しか書けなかったと言える。
もっともそれは、今後また別の角度から書かれた佐佐木幸綱論を読む楽しみが残されている事にほかならない。ある歌人の作品世界の全体像は、そして一首一首の短歌作品もまた、さまざまな読者のさまざまな「読み」によって分厚く重層的に完成してゆくだろう。本書がそのたたき台になることができれば、こんな嬉しいことはない。いま私は、私のこの佐佐木幸綱論が、幸綱短歌の豊かでダイナミックな世界を、小さく限定してしまっていないことだけを願っている。
代表歌一〇一首を読み解いた「作品鑑賞」では、書き下ろしながら、作品の中核に散文の言葉でなかなか到達できないもどかしさを、しばしば味わった。ここでも、その苦戦の跡を踏み台にしていただきながら、それぞれがそれぞれの角度から作品にじかに対峙していただけると大変うれしい。私がかろうじてできる事は、私なりの視点で作品を選出し、その「読み」の一つの可能性を提示する所までだろう。それがどこまで説得力を持つことができたか、私はどきどきしながら異論や反論を待っている。本書は、佐佐木幸綱先生はもとより、当然の事ながらたくさんの方の力に支えられている。小紋潤さんにはぜひにと望んで装丁をお願いした。また俵万智さんに帯文を寄せていただき、黒岩剛仁君には「佐佐木幸綱年譜」でお世話になった。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ 佐佐木幸綱 人と作品
Ⅱ 佐佐木幸綱論への視座――継承と革新のダイナミズム
Ⅲ 幸綱短歌のキーワード
- <ひびき>
- <人間の声>
- <壊す>
- <行為・行動>
- <肉体・肉声・生理>
- <動物の歌>
- <男歌>
- <家・父と息子>
- <韻律>
- <伝統>
- <心と言葉>
- <継承と革新>
Ⅳ 歌集論
- <状況>と<個>……『群黎』論
- 志の之く所……『直立せよ一行の詩』論
- 真夏の鏡が映すもの……『夏の鏡』論
- 明日へ漕ぐのみ……『火を運ぶ』論
- 帆のごとく過去をぞ張りて…………『反歌』論
- ユーモアとメルヘン…………『金色の獅子』論
- 時のアレゴリー…………『瀧の時間』論
Ⅴ 作品鑑賞