1980年11月、集英社から刊行された飯島耕一(1930~2013)の詩集。
ボードレールがパリを描いたように、エリオットがロンドンをうたったように、何とかわれらの都市、東京をテーマとする詩が書けないものか、というのは積年の思いであった。前詩集『宮古』を出したあと、ひょっとして書けるのではないか、という兆のようなものを感じた。宮古の離島では魔物のことを「まずむぬ」と言うが、この魔物が鉄とコンクリートの林たる東京にもひそみかくれているのではないか、という直観があった。朝に、そして夕暮れに、果てしない人の群れが、この都市の路上に行き交うのをあらためて眺めて(と言うよりも自分もその群衆の一人となって)、この群衆をどこかでひきつけている魔物の存在を思った。こうして一つのモチーフをつかんだわたしは、やがて「御茶の水の橋上に立って江漢を憶う」を書いた。
東京の詩を書きはじめておよそ一年後に、わたしはたまたま駒井哲郎展を見に上野に行った。そこでわたしは帰途久しぶりに上野を歩きまわり、一つの長詩の構想を得た。それが「上野をさまよって奥羽を透視する」に結晶し、出発時の「新東京八景」の頃には予想もしなかった東京が把握できた気がした。東京は奥羽でもあり宮古でもあった。思えばわたしがはじめて萩原朔太郎や富永太郎によびさまされて詩を書きはじめてから、三十年の月日が経った。朔太郎も東京の詩を書き、富永も東京の詩を書いた。彼らの詩の位相とわたしの詩の位相はどのように出会い、またすれ違っていることだろうか。ともかくこの一冊を、今日の未知の読者の前に、頭から尻尾までまるごと差し出すことにしようと思う。
(「あとがき」より)
目次
- 新東京八景
- 牛荻窪
- 雉子祥寺
- 戦死した青年たち
- 四十九歳
- 鋳物工場のにおい
- フェリー・ボート
- 泥と腐敗
- 皇居前
- 明大前
- 御茶の水の橋上にあって江漢を憶う
- 広告のアメリカ女
- 隅田川の四十分
- 巡礼のような
- 冬のうてき
- ツァラトゥストラの秋
- 六波羅密寺に詣でて
- 降三世明王
- 降三世明王
- 降三世明王
- 三重塔
- 降三世明王
- かえしうた
- 歩く
- 音
- 井荻聖母前
- 杉並区阿佐ヶ谷海岸
- 上野をさまよって奥羽を透視する
- 品川 大井の旅
- ある個展から
あとがき