2011年6月、沖積舎から復刊された橋閒石の俳論集。編集は子燕連句会の赤松勝。底本は1952年關書院版。
この小著は主として俳句の道に初心の人達を対象として筆を執ったものです。従って俳句史と名付けても、単に歴史的推移の大要のみを扱うに止まらず、簡単ながら成るべく多くの句の評釈をも添えて作品の鑑賞に便ならしめ、時代並びに作者の句風をおのずから理解せしめようと試みました。俳句とはどういうものかと云う本質の問題から入ったのも、始めてこの道に進もうとする人々に対する老婆心からです。又俳句史としては宗鑑守武から筆を起すのが普通ですが、俳句の本質並びに由来する所を明らかにする為には当然連歌の起源発達から説かねばなりません。第二講を設けたのはこうした理由からです。元来俳諧文学は連句を除外しては全く無意味なのですが、本書が範囲を俳句に限られている関係上、連句に就いては極度に省略せざるを得ませんでした。一介の俳諧師を以てみずから任じ、連句に俳句に起き伏しの心を澄まし、特に蕉風連句の紹介と復興とに微力を喝している身としては、甚だ物足りない気持も致しますが、連句に関してはいずれ改めて申上げる折もあろうかと思います。又最初は大正昭和に迄筆を進めて、多彩絢爛たる今日の俳句にも是非触れたかったのですが、明治時代を以て一応うち切るの止むなきに至ったことも、心残りの一つです。
本著は在来の儘の俳句の姿を、常識的に極めて平易簡潔に説明することを目的としたものですから、専門に亘る精しい事柄や特異な見解は努めて避ける態度を採りました。従って述べる所は多く平凡の域を出でず、且つ諸賢の筆意をそのまま取入れた箇所も少なくありません。この点諒恕せられたいと思います。
(「はしがき」より)
橋閒石(はしかんせき)は明治三十六年金沢の生まれ。英文学者で俳諧師という経歴が今日に至ってなお異彩を放っている。俳句作品にはその俳諧の柔らかさと英語のシャープさが渾然となった独特の風韻が漂う。本名泰来(やすき)。平成四年十一月二十六日逝去、享年八十九。
昭和六年、神戸に移り住むこととなった頃から寺崎方堂に連句の手ほどきを受けている。方堂は義仲寺無名庵十八世となった人物である。やがて、昭和二十四年俳誌「白燕」を創刊。その際方堂と袂を分かつことになったが、非懐紙形式の連句を創案するなど連句への情熱は「白燕」誌に溢れていた。第一句集『雪』から蛇笏賞の対象となった『和榜』をはじめ十冊の俳句集、並びに随筆集など多くの著述がある。因みに現代俳句のほぼ全域が正岡子規の系統に属するが、橋閒石はそこに繋がらない稀有な俳人である。
『俳句史大要』は、まことに数奇な運命をもった書物である。その刊行に至る顛末が「白燕」に掲載されている。「昭和十八年のいつ頃だったか忘れたが、関という大阪の知人が文化諸般にわたる叢書の出版を企画し、俳句部門を私に委嘱してきた。啓蒙が目的とはいえありきたりの物にはしたくない、という点では意見が一致した。俳句の本質や歴史的変遷のあらましは、かねて頭の中に熟していたので、構想もすぐにまとまり、勤めの暇を縫うて書き上げるのに半年もかからなかった。原稿を渡した直後から俄かに世情が険しくなって、あらゆる文化活動は停止し、私は学生を率いて工場などへの出勤に明け暮れているうち、家と蔵書の一切を焼失してしまった。身内から死傷者の出なかったのがせめてもの幸だった。大阪も既にやられていたから、例の原稿は灰になったものと信じていた。ところが、戦火が収まってまもなく、突然京都から関書院の連絡をうけた。大阪がいよいよ危くなってきたころ生駒の方へ疎開し、私の原稿も紙型にとって移してあったから、無事だというのである。私は死んだ愛児が生き返ったような気持ちだった。直ちに出版の運びになった。ただしかし、戦後になってみると、さし障りのある文言が幾個所か目につく。これを改めないことには出せない。そこでその部分だけ紙型を削りとり、不自然にならないような行文を案じて、そこに埋め字しなければならなかった。紙と言えないような物でさえ不自由な中を工面し、印刷能力の理由からやむなく分冊にして昭和二十一年十月に上巻、十二月に下巻を『俳句史講話』という書名で刊行することができた。二十七年に出した『俳句史大要』はその合冊である。」(「白燕」250号昭和五十四年十二月より)
執筆の時から既に七十年弱を経ているが、昨今俳句の通史を見かけることのない事情に鑑みて復刻を思い立った。また、閒石俳句の源流を探りたいという目論見に加えて「幻の名著」の呼び声高く、今日ほぼ入手できない事情も手伝っている。
この本の特徴は「はしがき」にあるとおり、連歌の発生から明治時代までを一挙に叙述するその壮大なスケールと、史実の列挙のみでなく生きた俳句評釈がふんだんに盛り込まれている点にある。「俳句の道に初心の人達を対象として」と書かれているが、単なる入門書でないことは明らかである。いや、古今稀に見る異色の俳句史というべきであろう。
まず、連歌の発生から、貞門・談林への叙述を通読すると、「言葉」が時代という乗物に乗って生々流転しているように見える。五七調から七五調へ、さらに五七五と七七が唱和の関係へと発展してゆく様子。言語の遊戯と目されたものがやがて優美な風韻を獲得してゆく様。貴族趣味から庶民文学への移行。それらはいずれもその時代時代の人物を介して言葉自身が変わろうとしているようにさえ写る。そこに詩歌の自叙伝が彷彿すると言っても過言ではないだろう。
さらに、「言葉」は権威であるという側面が浮かび上がる。獲得した権威を守ろうとする力とそれを革新しようとする力が拮抗する。貞門と談林、談林と蕉門、また、享保と中興、天保と明治。これらの推移を読むと、詩語と俗化のせめぎ合い、あるいは停滞と変革の相克が躍如としていて興趣が尽きない。就中、著者が「時代の力」という言葉を用いているのが印象的である。
ところで、この著書で最も多く頁を割いているのは芭蕉である。単に芭蕉当人の記述のみならず俳句の本質をはじめ、他の作家の記述に絶えず芭蕉が現れ、評価基準を形成している。また、寂栞等の表現理念や俳諧精神、ひいてはその生き方に至るまでが要所要所に展開され、一種の「芭蕉論」ともいうべき性格を裏に秘めている。この点も見逃すことのできない特徴であろう。
さて、江戸時代の俳句史では芭蕉・蕪村があり、それらについては多くの著述に恵まれているものの、芭蕉没後の俳壇の様子や月並調について知る機会はほとんどない。しかし、この著書には享保の暗黒、化政の頽廃、天保の無気力等について、俳句作品が具体的に提示され、丹念な評釈が施されている。また、当時の指導者の生き方が広い取材の下に活写されていて、その欲望渦巻く交々の姿を読むと、はるか昔の話としてではなく、現代を穿つものとして読み解くことができよう。
次にこの著書を特徴づける俳句評釈について触れなければならない。評釈は季語や固有名詞の懇切丁寧な解説があるのみならず、その読みが深く且つ分かりやすい。句の言外にある素材や様子を巧みに捉え、その句が描こうとしている「懐」に入り的確な評釈へと向かっている。このことは著者の詩才によるのみならず連句練達の賜物ではないかと思うのである。そもそも連句の句を付けるには前句を読まねばならない。俳諧文芸では「読む」と「詠む」が絶えず連動しているのである。しかし、明治革新以降この二つは別々のものになってしまい、「詠む」が肥大化し「読む」を駆逐して来た観がある。『俳句史大要』を復刻する意義とは、読む/詠むの連動を再確認することであったのかも知れない。
最後に著者が「連句」及び「大正以降の発展史」については他日に譲りたいと記しているが、残念ながら果たされぬままとなってしまった。そこに何か特別な意図があってのことか、あるいは「白燕」があまりに多忙であったということなのか、今となってそのことを質すすべはない。
(「編者あとがき」より)
目次
はしがき
- 一俳句とはどういうものか
- 俳句は十七字の詩であります
- 切字に就いて
- 季題に就いて
- 俳句に季節はなくてならぬものか
- 季題に関するその他の問題
- 余情に就いて
- 二俳句はどうして生れたか
- 俳句という言葉に就いて
- 俳諧に就いて
- 連歌に就いて
- 連歌の発生と発展
- 俳諧の連歌に就いて
- 発句独立の事情に就いて
- 山崎宗鑑と荒木田守武
- 三貞門時代
- 松永貞徳
- 貞門俳諧の特徴
- 貞門の七俳仙
- 野々口立圃
- 松江維舟
- 安原貞室
- 北村季吟
- 山本西武
- 高瀬梅盛
- 鶏冠井令徳
- 四談林時代
- 西山宗因
- 談林の重立った人々
- 大阪の談林
- 江戸の談林
- 京都の談林
- 地方の談林
- 蕉風の先駆
- 伊藤信徳
- 池西言水
- 小西来山
- 椎本才麿
- 上島鬼貫
- 五蕉風時代
- 松尾芭蕉
- 蕉門の人々
- 宝井其角
- 服部嵐雪
- 向井去来
- 内藤丈草
- 杉山杉風
- 志太野披
- 越智越人
- 立花北枝
- 森川許六
- 各務支考
- 山口素堂
- 野沢凡兆
- 広瀬惟然
- 六享保時代
- 江戸の俳壇
- 美濃風、伊勢風、露川派
- 上方の俳壇
- 五色墨の運動
- 業俳に就いて
- 七中興時代
- 与謝蕪村
- 黒柳召波
- 高井几董
- 吉分大魯
- 炭太祇
- 加藤暁台
- 堀麦水
- 高桑闌更
- 加舎白雄
- 大島蓼太
- 八化政時代
- 蓼太門
- 白雄門
- 暁台門
- 蕪村門
- 闌更門
- 青蘿・樗良門
- 江戸の俳壇
- 上方の俳壇
- 地方俳壇
- 小林一茶
- 九天保時代
- 江戸の俳壇
- 上方の俳壇
- 地方の俳壇
- 十明治時代
- (一)前期
- 月並と云うことに就いて
- (二)後期
- 尾崎紅葉と紫吟社
- 角田竹冷と秋声会
- 大野洒竹と筑波会
- 正岡子規
- 子規派の傾向と写生主義
- 内藤鳴雪と夏目漱石
- 子規の歿後
編者あとがき