2000年8月、本多企画から刊行された間野捷魯(1905~2001)の第4詩集。
昨年(一九九九)の十二月、私は備中高梁の自宅で転倒し、腰椎を骨折した。十数年来、既に左目が失明(緑内障)、五十数年来左耳は聴力を喪っている上、更に歩行を奪われる羽目に陥ったわけで、整形病院の治療を経て今年四月から岡山市郊外の或るケアハウスに移っている。現在腰の痛みは殆どなくなり、杖を突いてゆっくりと歩んでいる。
さて、この度の詩集「年輪』のことだが、先年私が卒寿を迎えたころ、友人、知己などいろいろと勧めて貰ったが、独り暮し(高梁)のおっくうさで、そのままになっていた。いまケア・ハウスに移り、時間的にも少し余裕があり、去る五月には満九十五歳を迎えて、もう後もない感じなので、周囲のあたたかい意向に添うことになった。
知己といえば、五十年来、心を許し合った東京の上林猷夫からは、機会ある毎に詩集出版の話が出ていたが、この際特に銘記したいのは、岡山市の「吉備路文学館」の元学芸員塩見曠氏の、出版その他の各方面にわたっての無償の奔走があり、また倉敷市在住で、青春を北海道で育った異色の詩人、田中澄子さんの、肉親にもまさる物心の援助がある。ともどもに深く頭を下げる外はない。
この本が、九州の「本多企画」から出ることになったのは、先年鹿児島の詩人村永美和子さんの、重量ある好著『詩人・藤田文江」の出版が機縁となった。
「本多企画」主人は秀でた詩人であり、私のこんどの本を、たのしみにし、期待している。
(「あとがき」より)
目次
- 終焉
- 正月の朝に
- 廊下で ある老人病院にて
- 陰翳 ある老人病院にて
- ひとりの末期 妻逝く
- くれない
- 映画館で
- 冷たい掌
- ひとりの祝祭
- 森を行く
- 静夜に
- 淵 高梁川抒情
- 夏日 高梁川
- 真紅 三石にて
- 温い掌
- その時
- 老残日誌
- 杖
- 故郷(ふるさと)荒涼
あとがき