1980年12月、不動工房から刊行された宮田澄(1930~)子の詩集。刊行時の著者の住所は三重県四日市市。
昨年偶然のことから、空襲の夜以来散り散りになっていた友人たちに再会した。話は尽きなかったが、私は子供のころから異様に覚めていたと言われ、思いあたることがあった。
私には、三歳ころからの記憶が鮮明に残っている。冬の朝のひとり遊びの指先に止まった陽の柔らかさとか、強すぎる夏の陽に吐気を耐えた理由とかが。それらの中に存在した大人たちの、言葉や表情の動きが意味するものを、生きゆくための直感として幼児の私が了解していたのだろうか、と思う時、けなげというよりは怖ろしく思えるのだ。
覚めていた幼児期以来、私はどれほどの成長をしたと言えるか。私を残して去り、今も去りつづける、身近な死、狂気。それらからの脱出のように、生きものの存在への限りない愛惜。私の生の不条理を問いつづけ、たぶん解決されぬまま果てるであろう未熟な混沌を、かけがえのない魂のように抱いて、覚醒と夢想のあいだに見え隠れするあの美しいもの、を頼って彷徨うのだろう。
(「あとがき」より)
目次
- 沼へ
- 光景
- シライトソウ
- 薬草採り
- 枷
- 漁師
- 霧
- ひと
- 願い
- 月蝕
- 奈落
- 幻視
- 野良犬
- 夕ぐれ
- 骨の音
- 窓
- 気配のようなわたしの神よ 愛よ
- たったひとりの観客のために
- 音の絵
- 賞状
- 辛夷
- 風景
- 眠り
跋文 平光善久
あとがき 宮田澄子
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