1980年6月、沖積舎から刊行された香川紘子(1935~)の第5詩集。装画は山本進。著者は姫路市生まれ、刊行時の住所は松山市。
生れて初めて投稿した私の幼い散文詩「夜露」が中学生毎日新聞の詩壇に入選してから三〇年の歳月が流れた。この間、神さまのお守りのうちに良き諸先生方、先輩、友人、それに家族の温かい愛のまなざしに見守られながら曲りなりにも詩作の道を歩んで来られたことを大きな幸せと感謝している。
ここに少女時代から詩作、並びに信仰のお導きをいただいた方々のお名前を記し、感謝の一端としたい。
中毎選者・杉山平一先生、詩誌「時間」主宰・北川冬彦先生、詩学研究会選者・嵯峨信之氏、沢村光博氏、松山福音センター牧師・万代恒雄先生、古町教会名誉牧師・二神喜十先生、無教会独立伝導者・故日吉城一郎先生、故渡部悦太郎先生、高橋三郎先生。
思えば、戦時中に学令期を迎えた重度障害児の私に基礎的な勉強を教え、外国語を通して広い世界を垣間見させてくれ、手の不自由な私に代ってラジオの語学講座のノートを黙々と取ってくれ、詩の口述筆記をはじめ、手紙など一切の代筆を入院の前日まで引き受けてくれた父こそ私にとって最大の先生と呼ぶべき存在だったかも知れない。そんな私だから父の死から受けた衝撃も、計り知れないものがあった。父の柩と共に私の最も良き部分も逝ったと、思いつめた日々があった。この第五詩集に集めた詩篇の中には、そうした死の陰の谷を歩んだ時期のものが多く含まれている。しかし、私が詩人として社会的な責任のある仕事を課せられたのも、父と死別後のことであった。
長々と私事を記したが、詩集の題名は「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇三○、五)から取った。これは父の病中、私を支えてくれた忘れ難い詩句である。
この詩集の上梓にあたって親身になってお世話下さった畏友鶴岡善久氏と、装画をいただいた山本進氏、沖積舎舎主沖山隆久氏に深く感謝申し上げる。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 糸瓜忌
- レースのモチーフ
- 大腸検査
- 脱皮
- キング今昔
- パントマイム
- 蔵王の樹氷
- 淡雪
- 秋植球根
- ことば遊び
- 少年期
- えひめこども美術展に寄せて
- ピカソへのオマージュ
- ピカソの西瓜
- 座った女と子供
- ルドンのリトグラフから
- 扉
- ヤポクの渡し場
- 憑かれる
- 四十代
Ⅱ
- 病室にて
- 父の右手
- 最後の所持品
- 別離の階段
- 死のデュエット
- 失われた二人称
- 庭師
- 父の夢