鈴木亨 鈴木亨詩集

 1973年1月、角川書店から刊行された鈴木亨(1918~2006)の第1詩集。

 

 去年の歳晩、三日ほどひどい頭痛に悩まされ、それが何とか落着いたと思ったら、もう三十日。あとは大みそか一日というところまでおしつまっていた。しかも、果さねばならぬ仕事は山積しているのに、何もする気が起こらない。―――そんな放心の中で、ふと思い立ったのが、旧稿の作品の浄書という暇つぶしである。ところが、浄書に耐えられるようなものは、いくらもない。それに、心当りのもののうち、散佚してしまったのか、どうにも捜し出せないのもある。そんなこんなで、なんとか原稿用紙三十枚分ばかりを書きおえたのが、三十一日の深更であった。
 できることなら詩集を、――という期待はあった。が、作品数は、始めから知れている。どういうことになるやら、見当もつかぬ。で、けっきょく十三編が得られたにとどまった。これでは、とても一冊にはなるまい。やはり無理かと断念しかけて、また思い直した。
 この辺が、年貢の収めどきだろう。ひとまずくぎりをつけておかねば、という何かせっぱつまったものが、ぎりぎりになってこの小詩集の刊行を命じるふうであった。
 作品は、ほぼ制作年次に従い、新しいものから古いものへとい逆の順に並べてみた。即ち、冒頭の「北の旅」が最も新しく、一九七一年(昭和四十六年)の作、最後の「鶴」が最も古くて一九三七年(昭和十二年)の作である。三十五年にわたる行程の間、ぼくはこんな乏しい収穫しか手にすることができなかった。とにかくこれは、ひょんなことから生まれた、ぼくの第一詩集である。
 これらの作品の発表誌は、最初の「鶴」が慶応に通っていたころの学内の同人誌「文科」で、それ以外は戦時中の「四季」、戦中・戦後の「山の樹」、戦後の「詩学」の三誌にすぎない。これによってみても、ぼくの閉鎖的な詩作生活が知れようというものである。
 作品そのものにおいても、ぼくの行動範囲は狭い。すべて、人見知りしやすい性向からのことであろうか。こうして並べてみると、三十年がまさに一日であったような気がする。と同時に、奇態な人生であったとも、思う。
 なお、全体を二部にわけ、前半を戦後編、後半を戦中編ということにしておいた。終戦後のしばらくは、いわゆる敗戦ボケでほとんど詩らしいものは書いていない。たまにあっても、それは見られたしろものではないので、全部捨てた。そのため、そこに二十年ばかりの間隙が生じ、その溝をはさんでしぜんに二つのグループができていたというまでのことである。
 と、ここまで書きすすんだところで、この文章には、十ヵ月近いブランクができてしまった。またしても弁解めくが、何分にも身辺多事で、どうしてもとくに期限のないおのれの詩集制作のごとき仕事は、あとまわしになる。
 その間、多少の手直しをするという事態が出来した。即ち西垣脩君の「解説」の記事にもあるように、同君のすすめから、「聖夜」「失われた青春」の二編を追加することになった。これらは、戦直後の作。いっさい度外視するつもりでいたものだ。が、とにかく作品が少なすぎるので、賑やかしにもなろうかと思い、あえてすすめに応じることにした。両編は当時、諏訪優君が編集していた詩誌「聖家族」に寄稿したものである。
 したがって本書の所収作品は、十五編ということになる。
 西垣君には、多忙中のところ、「解説」執筆の労をわずらわした。小山正孝君からは、装幀のことどもについて、親切な助言をうけた。両君とも、ぼくが詩作をはじめた当初からの盟友である。その両君の力添えをえられたことは、格別にうれしい。
 また疎懶なぼくにあきれもせず、何かとお世話くだすった角川書店編集部の皆さんのご厚意に対しても、心からお礼を申しあげる。
(「あとがき」より)


目次

  • 北の旅 1971
  •  車窓
  •  平泉
  • 港にて 1968
  • 怖れ 1967
  • 予感 1965
  • 断章・夜まで 1964
  • 聖夜 1950
  • 失われた青春 1949
  • 窓 1943
  • わかれの夜 1943
  • 嵐 1940
  • 餓鬼草子 1939
  • 深秋 1939
  • 山 1939
  • 鶴 1937

 

解説 西垣脩

あとがき


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