川の音 吉川秀子句集

 1962年3月、秋発行所から刊行された吉川秀子の句集。題簽は角川源義

 

 「若い頃私は一体何をしてゐたのか」
 齢百に達した畑のやうに、過ぎ越し方を振り返っても、現在の私には何も泛ばない。過ぎた年月はただ灰色に見えるばかりである。
 若き日の私の周囲には俳句を作る人って一人もみなかった。また高尚な趣味として句の一つもひねってみようといふ老成した人もゐなかった。それでゐて文学を一生の望みとする青年や婦人の一人や二人は、何時も身辺に次々と現れては去っていった。云ひ換えれば俳句そのものも今日ほど隆盛ではなかったのかも知れない。しぜん私は俳句には無縁な存在であったし、また反面意識して俳句なんて――と思ってゐたのかも知れない。いま考へれば無知な若き日の私の戯言のやうなものであるといふ他はない。
 さういふ私が俳句といふことなく小さな詩型に浮身を窶すやうになったのは、かけがへのない青春の日もとうに過ぎてからである。
 いま句集を編むにあたって収録した句を振り返ってみると、若き日のうずくやうな悩みや喜びを表現したものは少しもないのに気付く。もっとも、俳句とはさういふものを盛るにふさはしい器ではないのかも知れないが―――
 苦渋に満ちた中年の、あるひはやり切れない人生の、ある日ある時に打ち沈んでゐる私自身の姿を発見して、今更ながら灰色の一人の女の生と年齢とに卒然とする気持である。
 お忙しい石原八束氏を煩はして解説を頂いた。石原氏は雲母青潮会発足が機縁となって交はったすぐれた友人の一人である。以来私は氏の確かな眼を信じて来た。このささやかな句集を公にするにも、最初からこまごまと友情に満ちた御力添へをして頂いた。つねにさまよひ歩く私の、今後の方向への示唆を、この解説によって受けたことを深く深く感謝したいと思ふ。なほ句集刊行に当って、いち早く紹介の労を取って下さった松沢昭氏にも、ともに厚く御礼申上げたいと思ふ。
(「後記」より)

 


目次

  • 城遠し 昭和十六年~昭和二十一年
  • 秋再び 昭和二十三年~昭和二十五年
  • 影踏み 昭和二十六年~昭和二十八年
  • 秋雨 昭和二十九年~昭和三十一年
  • 昼の鐘 昭和三十二年~昭和三十四年
  • 樹小さし 昭和三十五年~昭和三十六年

解説 石原八束
後記 

 

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