1941年2月、交蘭社から刊行された畑耕一の句集。
言葉 北原白秋
蜘蛛うごく。
この一巻の中から感知されるのは、寧ろ本體そのものにあらずして、その動きの速度や投影の妖かしにある。
壁上の蜘蛛うごくとき大いなる
又、
燈をまともすばやき蜘蛛として構ふ
この蜘蛛、おそらくは爛々と兩の眼を輝かしてゐやうが、人ならば洋風のすばしこい身のこなし、細みといふものが、近代のスマートな都會生活者を思はせる。而も深夜向うむきに跼んで、酸素溶接でもしてゐさうである。
私は句を作らないから押して云ふのは憚られるが、天爾遠波といふリベットの打ち方に些かの綾るみがありはしないか。しかしながら、その速度の投影のすばやさは、さながらシネマ風景のそれであって、また人事は戯曲の一齣の個處々々を巧みに切りとつて映畫としてゐる。たとへ人事を主にしたものでなくとも、動物にまれ、植物にまれ、時候にまれ、天文・地理にまれ、いづれにしてる主役たる人の詩情や體臭や擧作、隨時の心理の波動といふものが纏りついてゐないことはない。鮮やかな知性に加へて、江戸派を昭和の色に替へたやうな都雅性もあり、洒落、快笑、機才に混へたある種の不逞、禍を齎らさぬ程の微苦笑、轉身の巧智等々々、時としてポケツトの時計に香水の香も染ませ、眼の粘り口に含ませてゐる。かと思ふと、ほのぼのとした新幽玄の匂もあり、俳趣らしい閑寂味もある。本來の寫生ではないと云ひながら寫生もしてゐる。かう云つた種々相を通じて、成程と思はせるのは、それはやはり畑耕一といふ今の人の句だといふことである。一と筋縄ではない。この蜘蛛の手八本で、ことごとくに動いてゐる。
さてこの人、二十幾年かの昔に、「寶惠籠」といふ浪花風流の名調子で、その手だれは私を驚かしたが、その後その一囃子だけで、ぱつたりと詩は止めて了つた。東都はお茶の水、晩涼の空の蒼みに白いアパートの稜線、その人の棲む四角の窓を仰ぎ見ては、なぞらへた「煙突雀」の童謡を私から贈つたことも、また思ひ出はあの頃の夢になつた。
句集を編むから序文を書けといふ君であるゆゑ書かしてはもらつたが、實を云へばこの白秋によく似てゐたといふ面ざしの人の忘れがたさに、それ、その蜘蛛の觸手が、すすつとすばやく動いたのである。
(「序/北原白秋」より)
たった一度、私は詩を作ったことがある。學生時代だったが、それを北原白秋さんにみとめて頂いた。二十餘年を過ぎた今日も、北原さんはその題名をおぼえてゐてくださる。うれしい。俳句も詩である以上、この句集に序文を乞ふべき人は、私には北原さんを措いてほかにない。眼を病まれて不自由されるなかに、北原さんは私の句を一つ一つ半紙に大書せしめられて、それを讀んで序文を書いくださった。なみなみならぬ御厚情である。
挿人の肉筆に用ひた篆刻は大谷碧雲居さんが、特にこの句集のために作ってくださったものである。しかも一度は郵送の途中紛失したのを、更にまた刀をとられたのである。この御好意もなみなみのことではない。
句稿をまとめるにあたっては、友人林原耒井、篠原梵、八木繪馬三君が駈けつけて、二度までも眼をとぼし、いろいろ助言を與へてくれた。古家榧夫君もなにかと心配してくれた。ありがたい。
(「小記」より)
目次
序 北原白秋
小記
- 人事
- 動物
- 植物
- 時候
- 天文
- 地理