わが小説 朝日新聞学芸部編

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 1962年7月、雪華社から刊行されたアンソロジー朝日新聞に143回連載された自作を語る「わが小説」をまとめたもの。編者は朝日新聞東京本社学芸部(責任者・扇谷正造)。幸田文庄野潤三中野重治からは収録の承諾が得られなかった。

 

 私にとって、深く感じさせられたのは、発表当時、批評家がほとんど黙殺し、またはとりあげてくれなかった作品を愛惜している文がかなり多いことだった。それは批評家と同時に我々にとっても痛いことだった。
 当然のこととして処女作または出世作が多く登場して来ていたが、その中で川口松太郎氏の直木賞受賞前後が興味深かった。同じく第一回芥川賞石川達三氏は、詮衡委員の大部分が石川氏を知らなくって、もっぱら作品論に、論議が集中されたのに対し、川口氏の場合は授賞作品より授賞者に対する批評が、はげしかった。
 それをみて、佐佐木茂索氏が、「人生、知らるるも憂し、知られざるも憂し」といった――ことを記しているのだが、この一語が、特に、私には残った。
 「わが小説」のその「小説」自身が、案外、「文学、知らるるも憂し、知られざるも憂し」といっているかも知れないからである。
(「あとがき/扇谷正造朝日新聞東京本社学芸部」より) 

 


目次

あとがき 扇谷正造


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