定本 果樹園 菊池正詩集

 1967年1月、黄土社から刊行された菊池正(1916~)の詩文集。

 

 いままで著書を編むのに、こんなに心重かったことはない。収めるような作品を持っていなかったからで、しかも窮余このような内容のものとするのは、ただに気の弱さによるのであって、実作者として責められてよいことであろう。
 詩八篇はすべて未発表のものであり、口はばったいことを言わしてもらえるならば、情緒的ナルシズムをぬけたところに、抒情詩の一つの可能性を期待したいとねがっているということである。
 「詩の周辺」に入れた文章は、詩誌のもとめに応じて、詩をとりまくあれこれについて書いたものを、系統なくまとめてみただけである。雑文は雑文なりに、私の詩に対する頑固なまでの態度を、間違なく主張していると思っている。

 この文は、先年あるシリーズの一冊として刊行した「果樹園」の巻末に、「覚え書」として記したそのままを掲げたものである。いま新しく「定本果樹園」の「あとがき」としても、これに加えるなにひとつあるわけではない。それにもかかわらず、私があえて「定本」と銘うってまでもう一度このような集を梓に上せる気になったのには、大略次の二つの理由による。
 その一つは、さきの本がシリーズの中ということで、体裁その他に一定の制約があったりしたことなどからして、私としては十分に満足したものとして出せなかったのを、いつか補い改めてみたいという切なる望みがあったからであり、もう一つというのは、それ以後書き残した作品に、それらと同種同類に近いいくつかがあるので、それをもまとめておきたいという気持になったことである。
 従って、本来ならば「果樹園」の名にこだわることがおかしいようなもので、はっきり別の書とすべきなのだろうが、やはりその芯となっているのは、「果樹園」を編んだ時の態度そのものであるということと、元の「果樹園」はこれをひそかにほうむってしまい、その内容に対する著者としての責任は、すべてこの「定本」によってでありたいとする私の願いが、結局このようなかたちへの執着をとらせたのである。
 なお、内容についていささかの解説を述べれば、「詩篇Ⅰ」は、古くは二十年前頃から最近に至るまでの作品であって、それぞれにモチーフは異なってはいるが、いずれも短唱というよりは俳句的発想によったものである。私は、時として俳句の圧縮された型の美を、できるだけ詩の上に移したいという思いを創作にあたって感ずることがあるが、おおむね成功することは少ない。しかもそれでいて、今もってその誘いを思い切れないでいるばかりか、そこが私のたどりつくベきさきではないかとさえ考えているのである。ちなみに私は、俳句そのものは今までにも作ったことはない。
 「詩篇Ⅱ」は、時期的にいうならば、大体前著「静物」に収めた諸篇と同じ時代に書かれたものである。あれがすべて散文詩形式のものであったのに対して、これらはそうではない。素材の質の違いが、自ずとそれを決定したというべきであろうか。配列は製作年順によった。
 「詩の周辺」には、戦後より今日までのもので、手もとにあったものを載録した。そのため随分時代感覚がずれていたり、舌足らずで論旨が不徹底であったり、また狭く個人の趣好と近親に偏して、特にみるべき詩観が述べられているわけでもないという憾みが多いことであろう。しかし、私が借りものでなくそうだと理解し、そう信じて実作して来たことしか書かなかったとだけは確かに言いきれる。そしてそれが本当なのではないかとも、ひそかに頼む心のないわけではない。「批評とは創作である」――私は常にそう思っているが、所詮どのようなものを書こうと、己を晒し者にする以外のなにができるというのであろう。
(「あとがき」より)


目次

詩篇

  • 通り魔
  • 処身
  • 我に狂気を
  • 風景
  • 地上の歌
  • 射程 
  • 軽い骨 
  • 寓話
  • 墓碑銘

詩篇

  • 火の山
  • みずうみ
  • 夜の川
  • 夜、咳く
  • 遠雷
  • 贋歲時記

・詩の周辺

  • 現代詩に於ける抒情
  • 素朴な省察
  • 詩のリアリティ
  • 書評
  • 野長瀨正夫論
  • 木下夕爾論 
  • 孤独と愛
  • 高村先生のこと
  • 上小町附近

あとがき

 


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