1976年6月、私家版として刊行された山内清の第5詩集。刊行時の著者の住所は大阪府高石市。
ひとつの詩集をつくりあげると、また、次の作品へのしらじらしい欲望が湧いてくる。その欲望は自由へのか憎惡へのか死へのかは分らない。ひとつの使われかたとして自由と自由でないものを見きわめるためにコトバは使われるのだろう、作品が作品化してしまえば自由は見失われる。私の頭脳のなかを通過する時間がつれてくるさまざまの形骸はなになのか、私には日常のなかの・平凡な意味・を追いつづけていくしか詩の方法はない。この詩集のいくつかには詩を楽しむ(もてあそぶ)危険性を自分で感じている、それは自分の自由をもてあそぶのと同じことだと思っている。<ドン・キホーテは死なず ダルネシヤ姫も永遠だ>この遺言を自分のものとするために私は詩を書きつづけていきたい。
(「あとがき」より)
目次
- ちゃいろの犬
- さかさのまち
- 一日
- 鳥
- 冬の衣装
- 貨車の車掌
- カガミの中で
- 風の速度
- 眼の世界
- 飛ぶ少女
- 娼婦のゆめ
- はいいろのコート
- 仕事
- みじかい時間
- 電車はしんいまみやから
- ひとりの男
- コックスはひぐれ
- 暗い橋
- 冬のみち
- なにもない風景
- ひぐれのなかで
- グランドの一日
- 一枚の絵
- ワタシの世界
- 河のあるまち
- 10人
- 鳥の言語
- 公園で
- 一九七五年十二月二日
- ゴーギャンさん・今日は
- ヒロシマで雨
- 冬の月曜日
- あなたのカサ
- 倦む日
- コトバの世界
- あさのゆめ
- タマシイの記憶
あとがき