混成曲として歌われる雅歌 安宅啓子詩集

 1969年11月、北国出版社から刊行された安宅啓子(1944~)の詩集。著者は中華民国南京生まれ、刊行時の住所は金沢市兼六元町。

 

 私は自分の詩にたいして好き勝手をしている。私は毎日どこへでも出かけるし、まただれとでも会う。タイム・マシーンを駆って、中世の都であろうと、三途の川向うの聖堂であろうと、未来へでも過去へでも。それで、ピテカントロプスとも紫式部とも武装警官ともおなじみなのだ。人が私の日々に起きている邂逅や出来事を信じようと信じまいとかまうことではない。今日の時局にたいする、きわめてシリアスな発言や芸術的作品が怒涛となって逆巻いているときに、私は、私が人肉蒐集家の海や黄道を散歩していることが、どんなつながりをもつのかと少しとまどってしまうことがある。私は広々とした楽園を歩く遊歩の徒なのか。
 現代世界に渦巻く国際的、社会的な抗争、対立やあるいは我が国における数多い大学の紛争をとりあげてみても、そこから何らかの影響や余波を、全ての人々はまぬがれていないといえる。私たち夫婦と女児一人のわずか三人の家庭においてすら、無関係ではありえない。私はある日、テレビで、一人の学生に数人ものロボットだか、西洋の騎士だかわからない人間がとびかかって棒で打ちすえるのをみた。私は、このほとんど無力な者が起こそうとしている厚い体制へのゆさぶりという、可視的現実を見すえているうちに、いつの間にか『鏡の国のアリス』の、鏡の裏側の世界におちこんでいるのに気づいた。そして私はこの反世界の国に入りこむやいなや、そこに時々刻々行なわれ繰りひろげられている非日常的な現実の中の真実にたちまち捉えられてしまった。それは、優雅で残酷で、猥雑で高尚、正に日常の現実世界をカレイドスコープにかけて映し出してみたら、こうであろうと思われるほどに人類の行状と諸相が、そこにはリアルに描き出されているのだった。
 私はこれらの詩を、私に似た反世界の現実を信じようとする読者に読んでもらえればと思う。
(「あとがき」より)

 


目次

  • 第一部 混成曲として歌われる歌
  • 第一番 深く死に瀕している私のためのバラード
  • 第二番 巡礼の歌
  • 第三番 降臨
  • 第四番 頌栄
  • intermezzo
  • 第二部 少女
  • 第一の歌 (神聖な野辺の支配者 ヒマワリの胸に)
  • 第二の歌 (半陰陽の月が血のりを吹きながら)
  • 第三の歌 (みだれる光を背にうけて 森の泉で)
  • 第四の歌 (死者たちの千年に一度の祭りに)
  • 第五の歌 (少女がふと目をさますと)
  • 第六の歌 (冬が迫っているというのに)
  • 第三部 水に関する若干の考察
  • 奈落の祭典
  • 修行僧または有翼の舌
  • 彷徨
  • 絞首台のバラード
  • 海辺まで。あるいは夏 家族及び弟妹たちと内灘砂丘にドライブしたときに得た
  • 老女のイメージ
  • 精神の生長

あとがき


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