2009年12月、本多企画から刊行された崔龍源(1952~)の第4詩集。著者は佐世保市生まれ、刊行時の住所は青梅市東青梅。
なぜ詩を書くのか。それはわけもなく湧いてくるかなしみのゆえだ、とぼくは言う。存在のあやうさ、はかなさがもたらす人間であるがゆえの不安や虞れ、そして時に陥る宇宙のブラック・ホールに、ひとり放り出されたような孤独感、生きている時代への怒りや絶望などが入り混じって、ある日、ある時、不意に、かなしみは牙をむいて襲いかかり、その深くて暗いかなしみの河に引きずりこもうとするのだ、と。ぼくはそれを、かなしみが湧くと表現しているに過ぎない。
たとえば、詩集の題名のもととなった、アマゾン河流域に住む人間の一種族の、絶滅に瀕した映像を目の当たりにしたとき、かなしみが込み上げてくる。それは狂暴な嵐のように、ぼくのたましいをずたずたにしようとする。そんなとき、かなしみの河、かなしみの渦のなかに引き込まれまいとして、ぼくは詩を書く。
生きるあがきのように、ただ生きていたいがために。共に在る家族と、もう少し、この世界に生のあかしをしるし続けたという思いのために。いつの日か、民族を越えて地球上の人がひとつになる、そんな叶わない夢を抱き、詩を書くしか能のないぼくは、詩を光のように渇望する。詩をたましいのほほ笑みのように憬がれる。
たとえ無残なものに終わろうと、詩はぼくにとって、唯一無比の存在のよりどころだから。ゆるぎないもの、失わないで済むものの、何ひとつない地上の生活で、ぼくがすがり、これまでぼくを支えてくれた家族のために、生きてこなければならなかったし、いま少し生きていかなければならないから。詩がよりどころであればこそ、守るべき家族のためにと、日々の仕事を大切に生きることができたのだと思う。また、すべての作品に通底しているのだが、第I部は生きることを、第II部は、その弱さをも含めて人間であることを、第III部は愛することを、主音とした作品をもって構成した。
(「あとがき」より)
目次
序詩 世界
Ⅰ
- とんぼの国
- 通り
- 魚の話
- 人間の香り
- 何千億の彼
- 夜半 果物かごのブルース(1なみだ 2でんでん太鼓)
- 空き缶と壜
- ピーター・ハンクスの星
- 母(イヴ)物語
- 人間の種族
- 撫子の花の歌
Ⅱ
- えにし
- 流離の譜
- セレナーデ(虫)
- 流れ星
- 異邦人
- 椿
- 砂の城
- 異化
- 露
- 石と伽椰琴 (1石 2伽椰琴)
- 誰か
- 心と脳の関係詩(1心に降る雨 2脳の中の馬 3心と脳が流す涙 4心と脳が恋う国)
- 父母たちは言った
Ⅲ
- エチュード
- ひとつしかない地図
- その鳥は
- ひとみのなかにあるいは移動
- 尹君――思い出
- かつて そして今このとき
- 風よ
- 水の頌歌(オード) (1家路 2よすが)
- バラッド――四重奏(1橋 2行方もなくて 3場所 4妙味)
- 痕跡(愛の)
- 川――淵なき世界へ
- ぼく きみ ぼくら
あとがき
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