1961年4月、現代思潮社から刊行された谷川雁の評論集。装幀は粟津潔。
きっちり二十字で、離党届の文面はつきた。あまりにも軽いその封筒が、初夏の陽をべっとり塗っているポストの、小さな廃坑のような胎内をひらひらと舞いおちていったとき、感じがない、まるでない、ということをちょっとだけたしかめてから、君はひきかえした。この希薄さはすべての予想を越えていたが、十三年間の党生活が終ったとはすこしも考えなかった。
そのとき以来、私はまだ出現していない、不可視の党にいかにして今日的に所属するかという、ややこしい課題をいだくようになった。私を葬むる者は私自身であり、他の何人にも手を下させないと決意したことによって、私の耳はいま、君が私をしめ殺す金属性の音を、プロレタリアの国へさそうファンファーレのように聞く。ようやくにして私の半身は、凄まじい未来へ通じる扉にはさまれている。
テーマよりマティエールを、モティーフよりマティエールをと思いつめてきた私は、ここに収められた文章が、かんじんのマティェールの点でもお話にならないと断定せざるをえない。三池と安保の高潮期に、ペンを折るか離党かの二者択一に追いこまれていた私は、さまざまの工夫をこらしてみたが、無音の壁を突破するためにはやはりこのように生硬な体あたりによるほかはなかった。
だが、ぶざまな格闘のあとを一冊にまとめようとするのは、昨日の記念のためではない。革命的な皮膚感覚を喪失した運動が、一人一殺のムードによって末梢神経からゆるがされている今日、この震動を誘発する間隙がどこにあるかを言いたいのである。
(「あとがき」より)
目次
Ⅰ
- 乗りこえられた前衛
- 私のなかのグアムの兵士
- 定型の超克
- 前衛の不在をめぐって
Ⅱ
- 私と知識人のちがい
- 転向論の倒錯
- 近代の超克・私の解説
Ⅲ
- 政治的前衛とサークル
- 組織と病識
- 軸と回転
- サークル学校への招待
- 自立組織の構成法について
Ⅳ
- 武勇の国の臆病者を
- 日本の歌
- 底辺ブームと典型の不可視性
- 日本の二重構造
あとがき