輝く晩年 作家・山川亮の歌と足跡 小泉修一

 2004年2月、光陽出版社から刊行された小泉修一(1926~)による山川亮(1887~1957)の評伝。山川亮は山川登美子(1879~1909)の弟。

 

 山川亮という作家の足跡は、今日ほとんど顧みられる機会がなく、わけても戦後発表した短歌は埋もれてしまっている。鳳逸平の名で「新日本歌人」に発表されたその短歌は、五十年近く、ほとんど人々の眼に触れられずに来た。
 山川亮は、わが国のプロレタリア文学の草分けとなった「種蒔く人」の同人として、大正から昭和初頭にかけて活躍したプロレタリア作家であるが、その生涯は顕著な特徴をもつ。黎明期の代表的なプロレタリア作家だったものの、文壇から離れ、戦後は茨城県北端の磯原町(現・北茨城市)で共産党員となり、一九五七年(昭和三十二年)七十歳で没するまで磯原細胞所属アカハタ磯原分局長として活動した。かつては著名な作家であり、晩年は無名の、いわば未端の一党員だった。それに彼は、与謝野晶子と「明星」派で才を競った山川登美子の実弟であり、若狭の富裕な旧家の出身だったが、晩年は非常な貧困の中で活動をつづけた。
 これをもって、前半生は「明」、後半生は「暗」と言うこともできよう。不遇の晩年と見る人もあろう。しかし山川亮の精神は決して沈まず、頭を上げ信念に燃えていたことが、その短歌に表れている。それは死の前日までアカハタを配っていたことにも伺える。人は逆境の中で初志を失いがちだが、名の出たプロレタリア作家や詩人で、その文学活動をやめたのちこのような晩年を送った者はいない。
 私がこの作家に関心を喚び起こされたのは、定年後に短歌の道に入り、渡辺順三の「山川亮の死」という歌を知ったことからであった。「足がのろくて時間がかかるよと笑っていた。七〇歳の山川亮のアカハタ配り」などの歌に私は衝撃を覚えた。私より一時代も二時代も過去の人と思っていた「作家」が、戦後このように茨城で(それは私の出身県でもあった)共産党の活動をしていた。その時期は私の二十代に重なる。はるか昔の作家が、突然傍に蘇ったような気がした。その驚きと感動を綴るのに、私はこの作家をあらためて調べようなどとは思わなかった。私はこの作家の作品さえ読んでなかったが、渡辺順三の歌からひろがる思いを書き出すのに、もはや余裕はなかった。「ある歌人の像」と題したのも、私自身がその像を追ったエッセイのつもりだったからである。
 ところが幸いに「新日本歌人」に掲載され、しんぶん「赤旗」の文化欄に紹介されたことから、歌人外の方からも思わぬ書信が寄せられ、ゆかりの地の方々から古い資料も送られて来た。山川亮に関心を抱いていた人がいたことを知るとともに、私の文における落ち度も知らされた。それは私に、このエッセイだけにとどめてはならないという思いを起こさせた。こうして、私ははからずも、「鳳逸平・その歌と足跡」、「『呼子と口笛』社のたたかい」、「山川登美子と弟・山川亮」を書きつぐこととなった。
 これはそれぞれが異なる側面を追う形となり、もとより一連の評伝をめざしたものではない。各篇ともやはりエッセイに近いが、それぞれ相補って先人の足跡を伝えられたろうか。
 「ある歌人の像」は、その序章になったものとして、そのまま収めた。
 「鳳逸平・その歌と足跡」は、「新日本歌人」に発表したものに大幅に加筆した。掲出歌もかなり追加した。
 「一通の手紙」は、この出版に際して書き加えた。
 五十年前の「新日本歌人」誌に山川亮(鳳逸平)の歌を尋ねながら、私はそれらが今に息づいているのを感じた。老いた山川亮の精神は、二十代だった当時の私と変わらず、いや私を凌いで燃えており、まさに私と同時代の人だった。山川亮は「初期プロレタリア作家」として終ったのではなく、人々に知られぬ晩年も、民主運動の最前線でたたかいぬいた人だったと思う。しかし作家活動はどうか、と問う声があろう。作家だった身の負う定めと思える。がそれをも考えた上で、私は本書に「輝く晩年」という題をつけることにした。
 私が怖れるのは、私の勝手な文が先駆者を貶めなかったろうかということ――過ぎた時代の、封印されたにひとしいものを掲出して、先人を傷つけなかったろうか、ということである。非力な後進の所業と許してもらえるだろうか。
 多くの方のご援助により書きつぐことができた。わけてもさまざまな資料を寄せてくれた方がいなかったら、私は書きつぐことがなかったと思う。さまざまな励まし、また幸運に恵まれた結果である。新日本歌人協会の常任幹事や編集部の方々からは、多くの励まし、助言をいただいた。また出版については光陽出版社の寺岡敏夫氏の細かな尽力を賜わった。
(「あとがき」より)

 

目次

  • ある歌人の像 
  • 鳳逸平・その歌と足跡――作家・山川亮の晩年
  • 呼子と口笛」社のたたかい――昭和初期の啄木運動と山川亮
  • 山川登美子と弟・山川亮
  • 一通の手紙――渡辺順三と山川亮
  • 父を追いて――啄木の遺児京子のこと!

山川亮(鳳逸平) 略年譜
あとがき

 

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