詩の地面 詩の空 岸田将幸

 2019年5月、五柳書院から刊行された岸田将幸(1979~)の詩論集。装幀は大石一雄。五柳叢書107。著者は愛媛県生まれ、刊行時の職業は農業。

 

 いま書かれるべき詩の場所はどこか。また、書かれた詩はどのような解放感を詩にもたらしているのか。タイトルの「詩の地面詩の空」にはそのような問いの意味を込めている。その問いは他方で、詩は空が見上げられるべく書かれなければならない、という願いのものでもある。思うに、空が見上げられなければならない理由は詩だけが知っており、きっと「詩の空」は無言でその理由を抱きとめ、高く澄んでいる。各稿の散文的な結論は別にして、そんな詩の風景がいくらかでも叙述できていればと願う。
 身辺についていくらか記すと、数年前に会社勤めを辞め、東京から十代を過ごした田舎の地へと身を引いた。時代の圧迫が緩やかな土地の、美しくもない川の流れに視線を時折流し、暮らしている。当地は山に挟まれた、限られた地域である。
 と、地勢をこう強調するのは、少し前に『対訳エミリー・ディキンソン詩集』(亀井俊介編、岩波文庫)を読み返して、前書きに彼女の孤独を評して「自己の存在を厳しく限定し、『限りあるもの』とすることによって……)」とあるのを見つけたからだ。
 自分の詩はどこまで耐え得るか。ひとまずそのハードルとして体の使役をもくろみ、農家となった。地味な肉体労働と作物の心配に、身心の力をほぼ費やす日々の先に、「限定」ゆえの攻め口が開けないか。それでもし、いくらかでも芯のあるものが書ければ、人や時代の様々な圧迫にひととき耐え得るのではないか、と考えた。すべてはやむを得ない。
 本書は、雑誌などに発表した類いに加え、書き下ろしの論考やエッセイを収めた。初出によっては大幅に加筆し修正した。共通して、表記の揺れもできる限り統一した。
 第Ⅰ章は現代詩において現在、最も重要な書き手だと思われる二人の詩集について書き下ろし、本書の幹とした。Ⅱ章、Ⅲ章は作品論および書評。Ⅳ章は、長く住んだ東京を離れる前後に書いた、詩と暮らしに関するエッセイである。枠に縛りがない分、気負いなく書いている。
 最後に収めた「農業日記」はメモに過ぎないが、畑という飾り気がまるでない場所に身を置きながら、それでも思考のいくらかは抽象性をもった。そのしるしである。日付がずいぶん飛んでいるのは、その日は具体的な思考ばかりの一日だったか、それかメモをする気力がなかったからである。
 落ち着いて、机の前に座る時間はさほどない。何か思いつめたとき、車のハンドルや膝の上を急ごしらえの机とし、しかし宛先もなく文字を記す時間は極めて心許なく感じた。だが、このような場所で書かれるわずかな言葉を、まずは自分が全面的に信頼し「詩の地面」としなければならない。言葉の必要は、こういったとき痛切に感じられる。
 本書が本となることができたのは、構成も含めすべて、五柳書院の小川康彦さんの厚意による。確か、神保町裏の喫茶店でお話を頂いたのは二〇一四年だったか。拙文の束に、こんな幸福があるとは思ってもみなかった。
(「後書き――タイトルについて」より)

 


目次

第Ⅰ章

  • 抒情を代償する「僕」 ――中尾太一『数式に物語を代入しながら何も言わなく
  • なったFに、掲げる詩集』
  • 捧げられた空洞――吉増剛造『The Other Voice』『ごろごろ』『怪物君』

第Ⅱ章

第Ⅲ章

  • 言葉は力そのものである――「現代詩手帖」特集「東日本大震災と向き合うため
  • に」
  • 「固有時」との「対話」、そして――吉本隆明『固有時との対話』を読む 
  • 現代と詩における価値――『北川透現代詩論集成1』 
  • 時代の仮構を遡る宿命――『北川透現代詩論集成2』
  • 最も耐えるに足る幸せ――吉田文憲詩集『生誕』
  • 灰の命――齋藤恵美子詩集『空閑風景』
  • 石を割る石の歌――新井豊美を悼む

第Ⅳ章

  • 驢馬の声 
  • 見開く 
  • 一行目、二行目、三行目 
  • 記念に写真を 
  • 歌う力 
  • 明るいほうへ 
  • 手紙 
  • トーキョー、トーキョー 
  • 薄い水色 
  • 夏の日 

第Ⅴ章

  • 農業日記――二〇一八-二〇一九

後書き――タイトルについて


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