1919年12月、聚英閣から刊行された白樺同人のアンソロジー。装幀はバーナード・リーチ。
聚英閣の渡邊君から『白樺の森』や『白樺の園』のやうな本を出さしてほしいさいふ話があつたのはだゐ分前のことであつた。丁度其頃僕達は白樺演劇社を起した時であつた。僕達は厚意の有る人達から寄附金を出してもらうことに依つて其の仕事を助けて貰らうことにしたが、其の爲めに氣持のいゝ方法で集まりさへすれば金は多い程いゝに越したことはない。それには自分達のものを集めて本を作るといふことは氣持のいゝ方法の中でも氣持のいいものゝ一つだ。そればかりか僕達が自分達のものを集めて本をだすことそのことだけでも決して無意味でないことは固く信じてゐる。そしてそれは又僕達の友情と仕事にとつての善き紀念でもある。僕達は渡邊君からの話を喜んで承諾した。そして白樺同人の―『白樺脚本集』を入れて――第四集『白樺の林』が出來たのである。
此の本の印税は白樺演劇社の爲めに寄附することになつてゐる。白樺演劇社は第一回の私演を七月四日に、第一回の公演を九月十七日より十九日までの三日間開催した。そして豫期通りに白樺演劇社の基礎は固まりつゝある。俳優も第一回、第二回、第三回を募集して、いゝ人達を得ることの出來たことをよろこんでゐる。
それから白樺演劇社は二回の私演及公演の經驗によつてつくづく專屬の劇場の必要なことを知った。自分の劇場を有たないといふことの不便を不快さを泌みじみと感じた。それに在來の劇場の設備の不完全といふことも亦新しい劇場をほしくさせた。
それで餘り大きくなくとも、此方の芝居をやるに適した劇場を立てることを計劃した。その爲めに最小限の豫算を立てゝも可成りの金が必要のやうである。其の金が僕達の仕事に同情と同感とを有れれる厚意を理解とから寄附を得ることに依つて集まることが出来れば幸ひである。
いはずとも解り切つてゐることだが、此の集に入った各自の作品は制限された頁數內で各自が自分の氣に入つてゐる自信を有てるものを持寄つたものである。順序は到着順に從つた。
裝順はリーチがしてくれた。
(「序/小泉鐵」)
目次
- 埋火 長与善郎
- 落第の経験 小泉鉄
- 往来にての出来事 小泉鉄
- 若きお母さん 園池公致
- 二十八歳の耶蘇 武者小路実篤
- 流行感冒と石 志賀直哉
- クラゝの出家 有島武郎
- 三人の弟子 里見弴
- 弱き男の手紙 近藤経一
- 芸術観の内より二つ 岸田劉生
- 冬の音楽会 犬養健
- デュラーマの芸術論 児島善久雄
- 牟杉 木下利玄
- 詩 千家元麿
- 象徴の道 柳宗悦
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